◆幸福◆晴耕雨読の生活
Beatus ille qui procul negotiis/Ut prisca gens mortalium,/Paterna rura bobus exercet suis/Solutus omni faenore.
ベアートゥス・イッレ・クィー・プロクル・ネゴーティイース/ウト・プリースカ・ゲーンス・モルターリウム/パテルナ・ルーラ・ボーブス・エークセルケート・スイース/ソルートゥス・オムニー・ファエノレ
幸せな人とは、仕事から遠く離れて、ちょうど昔に生きていた人間がそうであったように、借金をびた一文することなく、先祖伝来の土地を、自分が所有している雄牛を使って耕す人である。
(ホラーティウス『エポーディー』2歌 1-4行)
■解説■
詩の冒頭はこの引用文のように始まり、田園で自然を楽しみつつ送る質素な農耕生活を讃美する。そしてそういうゆとりのある生活は、金を貯め、刺激の多いあわただしい都会生活に較べてすぐれていると述べる。しかしこの詩の最後では、以上のことを語ったのは高利貸しの男だったことが判明する。この男は農耕生活に戻るために必要だとして、人々から貸した金を取り立て、そしてうまく回収した後にはなんとその金をまたちゃっかり他の人々に貸している。「緑に囲まれた生活」と口にしながら、地方には住まず都市に住みたがった経済成長期の日本人と同じく、この男は、理想的な生活像を思い描きながら、それとは正反対な生活を実際には送っている。
なお、田園生活を賛美する文学は「パストラル」(牧歌)という一大ジャンルになっている。この詩はそのジャンルのなかでも、もっとも有名なもので、西洋の学校ではかつては必須の暗唱詩であった。

▶比較◀
帰りなんいざ、田園将に蕪れんとす、胡ぞ帰らざる
(陶淵明「帰去来辞」5世紀初頭)
■解説■
「さあ、故郷へ帰ろう。田畑は荒れほうだいになろうとしている。どうして帰らないのか」。詩人は、官職に就いたものの安月給の官吏で、官吏として些細なことにまで上司に気を使わなくてはならないことに嫌気がさす。そして自分の心にもないことをする役人生活よりは、故郷の自然のなかで、その推移に合った人間本来の生き方をしようと決意する。実際に帰郷し、自ら農作業のまねごとのようなことをし、「琴と書とを楽しんで以て憂を消」す晴耕雨読の生活に徹する。陶淵明はその生活に即した名詩を著し、「田園詩人」の異名をとった。