◆詩人◆ 霊感を授ける神
O mutis quoque piscibus/ donatura cycni, si libeat, sonum.
オー・ムーティース・クオケ・ピスキブス/ドーナートゥーラ・キュクニー・シー・リベアト・ソヌム
ああ、声を出せない魚にすらも、その気になれば、白鳥の歌声をさずけようとする。
(ホラーティウス『歌章』4巻3歌19-20行)
■解説■
ホラーティウスは、ボクシング、凱車競争、戦争で頭角をあらわすことはなかったが、今やローマの一級の詩人として周囲から認められるようになった。それは学芸女神メルポメネーのおかげであると、自ら認めている。そしてこの女神の力を讃えるときに述べたのが、この一節。ローマ人は歌声に秀でた才能のあるものとして白鳥を連想するのが常であった。女神には、声を出せない魚たちにも白鳥のように歌を歌わせる力が備わっているというのだ。

▶比較◀
花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか歌を詠まざりける。
(紀貫之『古今和歌集仮名序』905年)
■解説■
鶯が桜花のなかでさえずるとき、また水に住んでいる蛙がその水辺から声をあげるとき、いったいこの世に生きている生きもので、歌を詠まなかったものがいただろうか、いや、みな詠んだだろうと、歌聖は断言する。西洋では神から霊感を授かって詩人は歌を作るのに対して、日本では自然のなかの出来事と共鳴すれば、誰であろうと歌がふつふつと湧いてきて詠めるのであって、霊感ではなく出来事への共感力の感受性が重要視されている。