◆幸福◆子宝に恵まれる
Dicique beatus/Ante obitum nemo supremaque funera debet.
オムネース・イーディーキーケ・ベアートゥス/アンテ・オビトゥム・ネーモー・スプレーマケ・フーネラ・デーベト
死んで最期の葬儀を迎えるまで、誰であれ、幸せな人と呼ばれてはならない。
(オウィディウス『変身物語』3巻136-137行)
■解説■
父王により追放されたフェニキアの王子カドムスは、ギリシアのテーベに都市を建設し、そこで沢山の子供、多くの孫に恵まれる。カドムスにとっては流浪から一転して安泰の生活となった。しかしその幸せなカドムスにも不幸が訪れる。孫アクタエオンの突然死である。若者アクタエオンは、狩猟で疲れた体を休めようとした。その場でたまたま女神ディアナが沐浴する場面を見てしまう。若者は、女神の怒りを買い、鹿に変身させられてしまう。鹿になったアクタエオンはまたしても偶然に、自分の猟犬たちと出会い、そして身体中を噛みつかれて、殺されてしまう。
オウィディウスは、至福の絶頂期にあったカドムスがこうした不幸に遭遇することを語り始めるにあたり、「幸せな人と呼ばれてはならない」と読者に注意を促している。
▶比較◀
子有れば万事足る
(蘇軾[11世紀頃の政治家・詩人]「賀子由生第四孫斗老」)
■解説■
たとえ地位や財産などなくても、子供がいさえすれば十分に幸福であるという意味。日本でも万葉集(巻5・803)ですでに、「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」(山上憶良)とあって、銀も金も宝石も、優れている宝である子どもには及ぶわけがないといい、子宝に恵まれることを尊んでいた。ところが、その子供が死んでしまったら、親のそれまでの至福はたちどころにして消えてしまう。だから、親は子供が立派に育つのを見届けてから死ぬのではなければ幸福とはいえないことになる。