◆死◆ 国家のための死
Dulce et decorum est pro patria mori:/Mors et fugacem persequitur virum,/Nec parcit imbellis iuventae/Poplitibus timidoque tergo.
ドゥルケ・エト・デコールム・エスト・プロー・パトリアー・モリー/モルス・エト・フガーケム・ペルセクィトゥル・ウィルム/ネク・パルキト・イムベッリス・ユヴェンタエ/ポプリティブス・ティミドークエ・テルゴー
国家のために死ぬのは甘美にして高貴なこと。死はまた、敵から逃れる男にもどこまでのつきまとい、戦争嫌いの若者のひかがみもその背中も見逃すことはない。
(ホラーティウス『歌章』3巻2歌13-16行)
■解説■
ホラーティウスはこの歌で、ローマの若者はどのように育てられるべきかを教えている。その教えのひとつが、国家のために死ぬことがすばらしいということである。良家の子弟は軍務についてそこで活躍し、たとえ死ぬことがあっても、それは高く評価されるという。
こうしたメッセージは、戦意高揚のスローガンにもなるので、20世紀の詩人エズラ・パウンドは、「昔からの嘘、国家のために死ぬのは甘美にして高貴なこと。」(「墓選びのためのオード」4巻Ⅱ歌)といっている。しかしホラーティウスの詩が書かれたのは共和制末期(アントーニウスとクレオパートラの時代のすぐ後)で、当時のローマは武力侵略による外国の植民地化と文明化によって繁栄と成功を謳歌していた。だからこのようなスローガンが素直に受けいれられる素地は充分にあった。また死後の名声へのこだわりはローマ時代を通じてとても強く、大義のために命をかけることは、本人にとっても陶酔をもたらす「甘美にして高貴なこと」であった。
ただし、甘美・高貴だといっても、そのあとに続く言葉からもわかるように、良家の子弟だからといって「国家のために死ぬ」ことが誰にでもできたわけではない。敵の前で尻込みし不名誉な退却をしたりすることもあったし、そもそも嫌々ながら戦争に駆りだされていく若者もいた。そしてその種の青少年への教えとして、敵から逃げてもいつか死は必ず降りかかるのだから、いっそのこと国のために堂々と死ねという。敵前逃亡、嫌戦気分を打ち払うためにも、「甘美にして高貴なこと」というメッセージを伝えることが必要だったのだ。なお、敵のひかがみ(足膝の裏側にあるくぼみ)の腱を切って敵を歩けなくし逃げられないようにする、戦争の慣例があった。

▶比較◀
死を鴻毛の軽きに比す
(『本朝俚諺』[1715年])
■解説■
国・主君のために身を捧げて戦い、死にあっても恐れずに毅然として臨むこと。鴻は、白鳥あるいは水鳥のことで、きわめて軽いものの象徴。なお、この俚諺は、司馬遷が獄中の友人に宛てた返事に由来している。
「人 固より一死有り、あるいは泰山より重く、あるいは鴻毛より軽し。用の趨く所異なればなり」(『漢書』[80年頃]「司馬遷伝」「任少卿に報ずる書」)。「人間というのは、必ず一度は死ぬものですが、その死は泰山よりも重いこともあり、鴻毛よりも軽いこともあります。それはその死が果たす役割が異なっているからです」。
