◆運命◆ むごい仕打ち
Fortuna saevo laeta negotio et/ludum insolentem ludere pertinax/transmutat incertos
honores.
フォールトゥーナ・サエウォー・ラエタ・ネゴーティオー・エト/ルードゥム・イーンソレーンテム・ルーデレ・ペルティナークス/トラーンスミュータト・インケルトース・オノレース
運命はむごい苦しみをもたらすのを喜び、あくまでも傲慢なゲームに興じて、好意の行き先を不確かに変えていく。
(ホラーティウス『歌章』3巻29歌49-51行)
■解説■
運命は女神として形象化されるが、女神が誰に好意を向け、またその好意がいつまで続くのかは、人間の視点からすればまったくの気まぐれだ。それだけではない。女神は人間が幸運から不運へと転げ落ちるのを喜び、人間がどれだけ苦しもうがまるで気にしない。人間世界というゲーム盤は女神がどのようなむごい仕打ちを人間にしても、崩れることがないからだろうか。時代は下るが、王から一転して見捨てられた老人へと落ちたリアは、「人間は、いたずらなガキどもにとっての蝿のように、神にとってもそうなのだ」(シェイクスピア『リア王』[1606年]4幕1場37行)。ここでいう「神」はキリスト教の神ではなく、運命の女神。
▶比較◀
窮(きゅう)の命(めい)有るを知り、通(つう)の時有るを知り、大難に臨(のぞ)みて懼(おそ)れざる者は、聖人の勇(ゆう)なり
(『荘子』秋水篇3 先秦)
■解説■
「人生がゆきづまるか、思いどおりになるかは、運命や時のめぐりあわせで左右されるということをわきまえて、大きな困難に出あってもくじけないのは、聖人の勇気である」(金谷治 訳)。孔子が旅の途中で、兵士に何重にも囲まれたとき、孔子はたじろぐどころか、琴を奏で歌を歌い続けた。その態度を訝しく思った弟子の子路が、孔子のその心境を尋ねたとき、孔子が応えた言葉。