◆運命◆人をもてあそぶ女神

Heu, Fortuna, quis est crudelior in nos/Te deus ? Ut semper gaudes iiludere rebus/ humanis!

ヘウ・フォルトゥーナ・クイス・エスト・クルーデリオル・イン・ノース/テー・デウス・ウト・センペル・ガウデース・イルルーデレ・レーブス

ああ、運命の女神よ、あなたほど私たちに対して残忍な振る舞いをする神が他にいるでしょうか。あなたはなんと喜んで、人の生をもてあそぶのでしょうか。

(ホラーティウス『風刺詩』2巻8歌61-63行)

■解説■
  運命の女神の残忍さを指摘した言葉で、一見すると運命にもてあそばれる人間の不幸への不甲斐なさをあらわしているようにとれる。しかし実はこの言葉はかなり諧謔(かいぎゃく)的である。なぜなら、この運命観は、食通を自称する成金の晩餐会に招かれたときに起こった喜劇的な出来事にまつわるものだからだ。宴の主人である成金は、リンゴは三日月の時に摘むと後で赤くなり美味しいといった嘘とも誠ともつかない、食通好みの奥の深い知識を披露する。そうした口上とともに、食事が次々と出てくる。招かれた八人の客のうち、その半分は主人の口上にうんざりしている。そのさなか、突然、天井につるしてあった大きな飾り天蓋(てんがい)(ぬの)が床に落ち、料理も酒も台無しになってしまう。主人の隣の席にいた客は、この惨事を取り繕うために、運命の女神のなせる業として、主人を慰める。口上にうんざりしていた他の客は、食通ぶってたいして旨くもないものに大枚をはたく主人のこの失態に、にんまりと笑っている。
 自らの愚行とその愚行を上塗りする失態に、運命の女神を引き合いに出し運命の残酷さを見てしまう大袈裟さを、ホラーティウスはどこかで笑っている。

運命の足取りは定かでないことを示すために、羽の生えた球体に乗っている。(ガブリエル・ロレンハーゲン『エンブレム100選』(第2集)1613年)

▶比較◀

運の矢が空から落ちる。

(『俳諧・世話尽』曳言之話(ひきことのはなし)(1656年))

■解説■
 人の運命は、いつ、どこから飛んでくるか分からない矢のように、予測不能なものである。人の運命の予測困難さ、不意に訪れる転機をあらわしている。「運の矢が目に当たる」ともいう。


◆死◆恐怖を抱かない
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◆不幸◆現状に満足できず他を求める
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◆運命◆人をもてあそぶ女神
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◆無秩序◆混沌
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◆無秩序◆自然発生と四大
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◆運命◆ むごい仕打ち
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