◆死◆ 今日が最後
Omnem crede diem tibi diluxisse supremum.
オムネム・クレーデ・ディエム・ティビ・ディールークシッセ・スプレームム
夜が明けたなら、その日が最後だと、毎日、心しなさい。
(ホラーティウス『書簡詩』1巻4篇13行)
■解説■
詩人ホラーティウスが、自分の詩を読んで公正に批評をしてくれた詩人に宛てた書簡のなかで、幸福な人間の生き方を簡潔に述べている。すでに相手は容姿端麗で資産もあり、詩作の才能にも恵まれている。しかしそれでも人間の生にはつきものの、望みと心配、怒りと恐怖にもまれることがあると思うが、どういう状態にあるにせよ、夜が明けたら、その日が自分の生には最後になる日だと思って生きなさいと教える。
この教えは、自分の資産・才能などを十分に活用して毎日を生きよという勧めであるが、死を前にして脅迫的にどう活用するかという切迫感があるわけではない。仮に今日、死ぬことになったとしても、それはそれで運命として穏やかに受け止めればよいと、ホラーティウスは考えている。というのも、この教えを垂れた後で、ホラーティウスは自分が快楽主義者エピクルースの徒で、元気いっぱい、豚のように太っていることを告白しているからだ。

▶比較◀
心は清くすべきこと無く、其の之を混らす者を去れば、清自ら現る。……其の之を苦しむる者を去れば、楽自ら存す。
「人間の心も無理に清くする必要はない。濁りさえ取り除けば、自然と清くなる。楽しみも無理に求める必要はない。苦しみさえ取り除けば、自然と楽しくなる」(守屋洋 訳)
(『菜根譚』前集150)
■解説■
ホラーティウスの教訓は、死と向き合えということではなく、『菜根譚』にあるように、心を濁らせているものを取り除けば、心の清らかさや楽しさが自然に現れ出てくる、という考え方に近い。ただしホラーティウスでは、心の清らかさではなく心の平静であり、楽しみは飲んで食べて恋をする楽しみである。
