◆だます◆ 真意を見抜けない人間
Quantum mortalia pectora cæcæ /noctis habent.
クワントゥム・モルターリア・ペクトラ・カエカエ・ノクティス・ハベント
ひとの胸には、盲目の夜がなんと多く占めていることか。
(オウィディウス『変身物語』6巻472-3行)
■解説■
神であれば人の真意を見通すことができても、人間となると、相手の真意がどこにあるのか突き止められず、まるでその理解力が及ばない暗闇を見ているようだということ。
この言葉は、トラキア王テレウスがその真意を隠して言葉巧みに説得している有り様を見抜けないアテネ[アテナエ]の王パンディオンの態度を、評したもの。テレウスは、義理の父親パンディオンに向かって、その娘フィロメーラをトラキアにしばらく連れて行く申し出をする。しかしテレウスの真意は、パンディオンの娘プロクネーと結婚はしていたが、フィロメーラに一目惚れしてしまったため、トラキアでフィロメーラを陵辱し、そのまま監禁しておこうというものであった。しかしパンディオンは、その真意をまったくつかむことができないまま、テレウスがフィロメーラを連れて行くことに同意してしまう。

中央コマ: パンディオンがテレウスにフィロメーラを紹介している。
右端のコマ:テレウスが自分の船にフィロメーラを乗船させている。
『オウィディウスに登場する君主の詩的歴史大成』1532年
▶比較◀
達人の人を見る眼は、少しも誤るところあるべからず。
(吉田兼好『徒然草』第194段 [1349年頃])
■解説■
人の真意をきちんと見抜ける人を、兼好法師は「達人」とよんでいる。法師は、うそを受け入れる人の態度を十種類に分けて述べたあとで、達人(「道理にあかるい人」)が、人の心に宿る真意を見抜くことは、手のひらの上にあるものを見るように、至極かんたんなことだと述べている。