◆死◆悼んで死を受容
Quis desiderio sit pudor aut modus/ Tam cari capitis?
クゥイス・デーシーデリオー・シート・プドル・アウート・モドゥス/タム・カーリー・カピティス
これほど大切な人を悼むのに、どんな慎み、何のたしなみがいるというのか。
(ホラーティウス『歌章』1巻24歌1-2行)
■解説■
詩人ホラーティウスが、同じく詩人でもあった友人が亡くなったことを悼んでいる。ホラーティウスは最終的には、死の運命をじっと忍耐をもって甘受するしかないことを勧めている。なお「人」にあたる言葉はここでは「頭」caput で、古代ローマ人にとっては、頭は生命力と生殖力とが宿っていると考えられていた。参照 中沢新一『純粋な自然の贈与』(せりか書房,1996年)91-94ページ。
▶比較◀
人生は実に難し、死は之を如何せん。
(陶淵明「自祭文」427年)
■解説■
人はいずれ死ぬという運命にあり、この運命は変えようがなく、死ぬのが定めである。聖人の聖人たるゆえんは、その行いが分相応であったことによるが、人としての分相応とは死を受け入れることである。なお「自祭文」は、自己の死を見つめ続けた詩人が、死のニヶ月前に書いたもので、自分のこれまでの生涯をどう評価し、死とどう向き合っているのかを開陳している。