時をつかめ: 今こそ楽しめ

Dum loquimur, fugerit invida/Aetas: carpe diem, quam minimum credula postero.

(詩)ドゥーム・ロクイムール・フーゲリト・インウィーディア/アエタース:カルペ・ディエーム・クワム・ミニムーム・クレドゥーラ・ポステーロー(散文)ドゥム・ロクイムル・フーゲリト・インウィーディア/アエタース:カルペ・ディエム・クワム・ミニムム・クレドゥーラ・ポステーロー

こうして僕たちが話しているうちにも、嫉妬深い時は過ぎ去ってしまうだろう。君よ、この日をつかめ、明日があるとはできるだけ信じずに。
(ホラーティウス『歌章』1巻11歌 7-8行)

【解説】今こそ楽しめ

この詩の語り手は、身分のある女性(その名も「明晰な精神」という意味のレウコノエ)にむかって、まず、神が人生にどんな終わりを定めているかを知ろうとするなという。あと何年生きるにせよ、なにがあっても耐えればよいという。そしてどうせ人生は短いのだから、人生のずっと先でかなうような希望をもつことをやめるようにいう。そこで、ここに記載したせりふがでてくる。

運命はどうなるのかわからないのだから、これ以上話をすることはやめて、(1)はやく一緒に寝ようという意味にもとれるし、(2)いまこの瞬間を大切にして密度の高い時間を一緒に過ごそうともとれる。また、(3)明日のことは考えず、毎日を楽しく平安にいっしょに過ごそうという意味にもなる。

ルネッサンスの恋愛詩ではおもに(1)の意味で用いられているが、現代では、たとえばアメリカの小説家ソール・ベーロ(Saul Bellow〔1915-2005〕)の小説にあるように、むしろ(2)の意味で使われる。

なお、この格言をふまえた詩として、イギリスの詩人ロバート・ヘリック(Robert Herric〔1591-1674〕)の「乙女へ」がもっとも有名。「できるうちにバラの蕾を集めなさい。時の翁はいつも飛びつづけていて、今日ほほえんでいるこの花も、明日には枯れかかってしまうだろう。

【比較】

中国には、「楽しみを為すはまさに時に及ぶべし、なんぞよく来茲(らいじ)を待たん」(『古詩十九首』後漢)とある。「時に及ぶ」は、チャンスを逃さず、適当な時機にという意味。また「来茲」は次の機会あるいは来年。楽しむなら、楽しみのチャンスが巡ってきたときが好機なのだから、次の機会まで待ってはいられない。寿命には限りがあるから、今、この時を楽しく過ごそうというもの。詩人は、この直後で、「燭台を手に遊ぼう」といっているので、おそらく酒を飲みながら、詩を読み、風流を語らおうと勧めているようだ。

携帯日時計 (オックスフォード科学史博物館蔵)