歴史家が明かす結婚・離婚観の変遷
「歴史は現実を照らし出し、記憶を活性化させ、日常の指針を提供してくれる」(キケロー)という言葉があります。私たちが日常で経験する様々な出来事も、それら出来事に対して感じる気持ちも、<現実>であることに違いはありません。しかし出来事としての区切り方も、出来事への感じ方も、価値判断も、それがどれほど<現実>と思えても、歴史に照らして把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまいます。
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、ロミオはジュリエットに一目惚れし、両親の同意を得ないまま秘密結婚をします。しかしちょっとした手違いからその結婚は数時間しかもたず、二人はそれぞれ自殺します。同じシェイクスピアの作品で古代ギリシアを題材にした『トロイラスとクレシダ』では、勇者トロイラスは敵陣の女クレシダに一目惚れしますが、クレシダがいとも簡単に別な男を愛するのを見て愕然とします。
結婚というのは今の多くの私たちにとっては、男女間に愛が芽生え、その愛をより強固なものにしていくための手段という理解が一般的です。強固にしていくことができないとき、ロミオとジュリエットのカップルがそうであったように、そういうカップルに私たちは悲哀を感じます。また愛する対象がどんな理由であれ変わってしまえば、それで結婚は終わりと見なされます。トロイラスが、あれほど相思相愛であったクレシダと結婚しないのは、私たちの気持ちとしては当然なのです。
しかしこうした結婚観は、西洋ではシェイクスピア以前にはほとんど見られなかった考え方でした。16世紀以前の結婚常識では、愛情が想定されておらず、かわりに家系と家産の保持が第一義でした。こうした歴史事実を知り、また結婚手続きが教会管轄下におかれるのも、中世末だったことを知ると、「恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛→家族愛」という現在の図式は確固たる伝統ではないことがわかってきます。
歴史的視野に立つと、現に経験し実際に抱いている結婚観、それに付随する家族愛も異なって見えてくるはずです。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかです。なぜなら現実の心情としては「恋愛→宗教的結婚式→夫婦愛→家族愛」に賛成だが、それに積極的に賛成することには、当為必然が含意されていないからです。時代風潮に迎合する発想や意見は、現時点では正しいと映っても、それは無自覚のうちに歴史把握を鵜呑みにし、なおかつ自力思考を放棄していることにほかなりません。
自力思考を放棄しないためには、まず 結婚はどのように考えられてきたのか、その歴史的な把握は最低限、必要になります。西欧、とくにイングランド(英国の一部)においてどのような考え方があったのか、それを教会の記録や議会議事録といった一次資料にもとづいて、ある時期の特徴的な包括的な傾向をえぐり出し、その傾向のひとつひとつをひとつの大きな流れのなかで捉えた歴史家たちがいます。
以下では、そうした歴史家の著作の内容を紹介していきます。書名の入った青色の帯をクリックすると、内容紹介ページにジャンプします。
ローレンス・ストーン Laurence Stone (1919 – 1999)
結婚にかんして、ストーンは二冊の大著を送り出しました。
『イギリス1500-1800年代の家族、性、結婚』(原題 The Family, Sex and Marriage in England 1500-1800)
北本正章訳, 勁草書房
なおストーンが歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめられています。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくありません。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書になっているので、批判的に読むことが要求されます。
