ミルトン離婚論:『離婚の教理と規律』(The Doctrine and Discipline of Divorce)
性格不一致がもたらす不幸
ミルトンが最初に執筆した離婚論は、『離婚の教理と規律』(1643年8月1日、改訂増補版 1644年2月2日)である。ミルトンはそれまで長老派側の論争家として教会内部の位階制度などについて議論はしてきたが、信者の日常生活の仕方に直接深くかかわる個々の制度をとりあげて、議論の対象とすることはなかった。もちろん結婚についての議論に参加したこともなかったし、離婚とはなにかなどということに触れたこともなかった。
『教理と規律』は、失敗した結婚のまま夫婦が共同生活を続けることがどれほど悲惨なことかを伝える。そういう「束縛」は、「不自然に鎖につながれたふたつの屍」(326) を生み、「生きたまま、死んだ体に繋がれている」(327) 血の気もよだつおぞましい状態をもたらす1。逆に、そんな結婚が解消できるなら、「優しい一撫でで、[離婚できないでいる]男の生活から生じる何万という涙を払い去れる」(245) と説く。
教会法が許した別居、ミルトンが主張した性格不一致
そもそも教会法では、結婚した者は、「姦淫と遺棄」(237) といった理由から配偶者と別居(「ベッドと食卓からの離別」(345) )することは許されていたが、別居が許されるからといって再婚が許されるわけでなかった。さらに教会法では、「性交不能」(264) の場合には、結婚は成立していないとみなされ、挙式していてもその結婚は無効とされた2。これらの考えかたに対してミルトンは、性格が「不一致」(254) であるならば離婚は許されるべきだとした。正確にいえば、性格があわない、気持ちが通じあわず、気質も正反対といったケースでは離婚は可とした。なぜなら、性格は夫婦それぞれの本性から生じるものであって、当人の意志や努力によってかえられるものではないためだ。また、そういう不一致の性格の2人が同じ屋根の下に住むことで、夫は、結婚という異性との交わりから手に入れられるはずの主要な利得、すなわち「心の慰めと平安」(242) を享受することができない。キリストは「聖愛」(229) を説いていたから、その精神にのっとり考えるなら、結婚本来の目的であるこの利得を得られないほうが、生来の性的不能というよりも離婚事由としてふさわしいではないかと主張する。
性格不一致こそ究極の離婚理由
ミルトンによれば、聖書では、「気に入らなくなったとき」(「申命記」24章1節 以下章節を略記)「離縁状」(306) を出してもよいとされている。またイエスが述べた、「神が結びあわせてくださったものを、人は離してはならない」(「マタイ福音書」19.6)という離婚禁止は、ファリサイ派が仕掛けた罠に対してイエスが述べたものであって、実はイエスは離婚を認めている。そしてなりよりも、「2人は一体となる」(「創世記」2.24)とあるように、性格が不一致では心底からの深い「交わりによる一体」(263) となりようがないではないかという。
なお姦淫と遺棄は、プロテスタント神学者たちにとって「結婚の絆」(vinculum matrimonii) そのものを断ち切る根拠であった2。そのうち遺棄についてミルトンは本書で、パウロの言葉(「第一コリント書」7.15)を引用しながら、「配偶者から遺棄された場合……再婚は合法となりうる」(338)のだから、遺棄の理由が「宗教上でも気質の上でも相違」(339)があったためなら、遺棄された側は、再婚は可能だと主張している。ミルトンはこの時期に事実上、王党派の父に従うメアリーに「遺棄」されており、この新妻 (desertice, 605) とは宗教・気質ともにあわなかったはずだ。しかもミルトンは「ディビス博士の娘」なる教養ある女性と交際していたことからすると、この指摘には切実感がこもっていることがわかる3。
注
1 ミルトンの4つの離婚論からの引用はすべてComplete Prose Works of John Milton, Vol. II, 1643-1648, Gen. ed. Ernest Sirluck (New Haven: Yale UP, 1959) により、引用ページを ( ) 内に入れた。
2 George Elliott Howard, A History of Matrimonial Institutions, vol. 2 (Chicago: University of Chicago Press, 1904) 63-64; Roderick Phillips, Putting Asunder: A History of Divorce in Western Society (Cambridge: Cambridge UP, 1988) 15-16, 68, 111, 114.
3 Chilton Latham Powell, English Domestic Relations 1487-1653 (New York: Columbia UP, 1917) 228.