◆大胆◆ 天に昇る気概
Caelum ipsum petimus stultitia neque/Per nostrum patimur scelus/Iracunda Iovem ponere fulmina.
(詩)カエリー・プスーム・ペティムース・ストゥールティティアー・ネケ/ペール・ノーストルーム・パティムール・スケルス/イーラークーンダ・ヨウェーム・ポーネレ・フルーミナ
(散)カエルム・イプスム・ペティムス・ストゥルティティア・ネケ/ペル・ノストルム・パティムル・スケルス/イーラクンダ・ヨウェム・ポーネレ・フルーミナ
天界そのものを愚かにも私たちは求めてしまい、そういう罪にユッピテル神は激昂し、雷霆をおく猶予もない。
(ホラーティウス『歌章』1巻 3歌 38-40行)
■解説■
かつて天界の支配権を握ろうと巨人族たちが神々と戦ったが、同じように人間は、到達することすらできない天界にまで、不可能であるにもかかわらず愚かにも、手をのばそうとしている。分限をわきまえず踏みだしていく人間の傲岸不遜に、主神ユッピテル(ゼウス)は怒り、自分の武器である雷霆をつかって、人間をこらしめようとする。しかしあとをたたない人間の大胆な行為に、ユッピテルはのべつ幕なしに雷霆をつかわざるをえない。

雷霆を握るユッピテル神 (100-200年頃 ルーブル美術館 蔵)
▶比較◀
雁が飛べば、石亀も地団駄(じだんだ)。
(諺)
■解説■
池で雁が飛び立つのを石亀(体長20cm程度)が目にして、自分も飛んでみようと甲羅から手足を出してばたばたとさせるが、甲羅の重さもあって、いっこうに飛ぶことができない。そこで悔しさのあまり、さらに身をもがくが、体の下の泥が飛ぶばかりである。この諺は、自分の分限を過信するあまり他人のまねをして、できないはずのことをできると思い込む愚かさを揶揄している。

飛ぶ緑毛亀 (アタナシウス・キルヒャー『図解中国』 1667年)
