ライオネル・トリリング『「誠実」と「ほんもの」』第1章 まとめ

倫理的生活は変化する

美徳に本質的なものであるとは自ら見なしていなかった新しい要素を創始したり付け加えたりする。
反対意見:これらの差違は、大した問撃はない。たとえば、『イリアッド』
人間性は決して変らない。倫理生活を貫くものは一

誠実 sincerity

誠実: 現在の意味
1. 建前と実際の気持ちとの一致
2. この一致に価値をおく

アブラハムは誠実さが問題にならない。若きヴェルテルは誠実さが問題。

誠実の発生:シェイクスピア
「お前自身に忠実であれ。…いつもお前自身の利益第一と心得」(『ハムレット』ポローニアスのセリフ)
ハムレット:実際に感じているものは表面に自ら現わしたものより多い。

内面の気持ちとそれを外面で表現する振る舞いとの調和

忠実 true to oneself とは

  • 誠心誠意、志操堅固
  • 正直、自分を扱うに当って嘘いつわり、ごまかしがない
  • 自分にぴったり馴染んでいる

誠実にまつわる問題点(1):

自分自身の自我に到達し、それに忠実たるために、本当の自我とはなにかを識別することは難しい
2つの自我:<人間の自我>と<個人の自我>
「個々の人間はそれぞれの身内に潜在的かつ先験的に一人の理想的人間、いわば人間の原型を所有しているといっていいだろう。とすれば、不断に変化してやまぬ自我の現象を通じて、この不変の理想の統一体と調和合体することこそひとめいめいの一生の仕事なのだ。」(シラー)

<人間の自我>は、本当の<私の自我>なのか。
現代芸術<私の自我>を発見すべくもがき、自分に対して忠実であればよいと考えている。
ここの誤りは、他人に対して忠実となるはずだという思い込み。他人に対して不実ではありうる。

誠実にまつわる問題点(2):

さまざまな役割を演じているさまざまな<自分の自我>があるが、その奥底に<究極の私>がいる。
<究極の私>はこれら<自分の自我>と共存する。
<究極の私>は、誠実な人間の役を誠実に演技する。
誠実の演技は演技であるため、誠実はほんものではない。
しかしひとは演技以外にやりようがない。選択の余地はどの役割を選ぶかということだけ。

ほんもの authenticity がもつ意味

「自我とはなにか」、「自我に忠実であるとはどういうことか」に激しい倫理的経験をする。
ルネッサンスには、ほんものが確実にあると信じられていた。
例「汝の心のなかを見て、そして書くがよい」(サー・フィリップ・シドニー)
<ほんものの自我>という考え方が18世紀に現われる。
<ほんものの自我>が<誠実な自我>(ほんものが確実にあると信じている自我)の欠陥を示す。

誠実とほんものがなぜ絡み合うのか

誠実 sin/cerity:「蝋で固めていない」sine cera  つぎはぎなしで堅実な逸品
例 あるひとの人生が誠実→そのひとの人生が堅実、純粋、無傷、徳行において一貫。
●シェイクスピア時代の誠実:偽装、韓晦、見せかけがない
「おれは本当のおれではないのだ」(『オセロー』イアーゴーのセリフ)
→悪党は装い偽る者だが、それは幻想的なメロドラマにこそふさわしい

●18世紀  
悪党が現実に存在し得た。

社会的流動性の増加

社会的欲求の満足が可能になる。それに比例して満足の障碍への苛立ちが増加。
<ほんものの自我>の自己実現が阻まれる。
自己実現するために、陰謀、策略が必要。
悪党=偽善者=意識的な偽装者が社会的に是認される。

→現代人の感性:

悪党=偽善者がしかける陰謀には興味はない。
自分自身の上に仕掛ける欺瞞が関心の対象。
なぜなら、悪党は誠実さを計画的に実行するが、それは<誠実な自我>の実現であり、<ほんものの自我>の実現ではない。

悪党の真逆の生き方:誠実が社会で発揮されると実際の悪より危険

「私の主な才能は率直で誠実であるということだ」(『人間嫌い』アルセストのセリフ)
誠実、真実のためならばずけずけ発言する。
自己中心的な意志が知性を圧しそれで真実が見えなくなる。

誠実がはらむ自己欺瞞
社会は、ひとの人生を必然的に真実を腐敗させる。

封建秩序の崩壊と英国国教会の権威の減退

「17世紀の初期、人間精神のなかに起った奥深い内的変化」について語り、それを「近代ヨーロッパ人およびアメリカ人出現の決定的時代」(フランセス・イエイツ)
「近代を通じてイギリスの国民性の主要な特質を形づくることになる新しいタイプの個性の形成」(ゼヴェデイ・バーブー)
「イギリス人の思考習慣のなかになにか深い変化」が起った(ポール・デレイニー)

●封建主義の衰退の結果、(1)社会的流動 (2)人口の都市集中の激化→「村の生活の白痴性」(カール・マルクス)からの逃走→社会を自分独自の目で見、考える。

●社会を見る目を変えた長老派の人々(国教会の権威から自らを解放した人々)

アルセストとの共通

アルセスト:モリエール『人間嫌い』の主人公。どのような場合でも自分の本心に忠実に発言すべきだという信条を強く持っている。

  • 社会は虚偽の公言、建前で腐敗堕落
  • 誠実であり得る才能への誇り
  • 不快な真実を率直に語り続ける
  • 率直に語るための唯一の必要条件は、自分には語るべき(神の言葉)があるという確信

(神の言葉)の権威に加え、権威は (1)自分の経験の真実 (2)自分は蒙を啓かれているのだという確信

宮廷社会で蔓延する不誠実→その結果、「努力して身につけた優雅や魅力はただ軽薄さと自惚れ、いや、女々しさを生み出すだけのこと」(カスティリオーネ『宮廷人』第四書第2挿話オッタヴィアーノのセリフ)

社会を見る目を変えたルソー

一つの役割以上を演じる自分自身を想像して、そういう自分自身の外・上に立つ<究極の私>がいる。
自分が個性を持った一個人であるがゆえに、他の人々に興味の対象となりえる。
 <自身> self とは、「本当に内在的に自分であるところのもの」であり、 偽りのない信念のために世に見せるもの。