チャールズ・テイラー 「西欧における市民社会」


Taylor, Charles., “Civil Society in the Western Tradition,” in Groffier, Ethel and Paradis, Michael (eds), The Notion of Tolerance and Human Rights: Essays in Honor of Raymond Klibansky (Toronto: Carleton University Press, 1991), 117–134


「市民社会」があるといえる場合に起こりうること

1. 国家権力の保護を受けずに、自由に団体を組織できる。

2.国家権力の保護を受けずに、自由に組織された団体が互いに協力できる仕組みが国全体に行き渡っている

3.自由に組織された団体が集まって一つの集団を作り、国家政策を決定できる。

「社会」誕生の土壌

A. 社会は政体によって定義できない(西欧中世)⇔社会は政体によって定義できる(ギリシア・ローマ)
    政体は一組織にすぎない        ⇔   統治権力の横暴への抵抗原理を欠く

B. 教会は一社会である⇒政体は一社会である(西欧中世:ゲラシウスの二剣論)

C. 人は法下権利 (subjective rights) を所有する(西欧中世:封建制)
   法下権利の源は封建領主と臣下の互恵契約→自然権へと発展

D. 自治都市(西欧中世:コムーネ)

E. 君主は貴族の支持をえて統治する二頭体制(西欧中世)

「社会」観の変遷史

17世紀: (1)軍備力を備えた絶対君主→Aを転覆。社会は政体によって定義できる
        権力の制限を受けない君主の元で一丸となることで社会が成り立つ。ボディン、ホッブス
        絶対君主はD, Eを転覆。Cによる制限

     (2)国家に先立って社会がある→Aを復権。
        臣民は統治権力と契約を結んでいる。グロティウス、プーフェンドルフ

     (3)教会は複数の社会である→Bを転覆。
        複数派のプロテスタント教会の存続

18世紀: (1)軍備力を備えた啓蒙君主→Cによる制限を明確化
        理性による統治        

       (2)経済力を蓄えた君主→CよりもEを明確化。

反・絶対君主制: ロック vs. モンテスキュー、そしてヘーゲル

ロック

社会は政体に先立つ→人間が自然状態である社会から脱皮するとき、団体と契約を結ぶ。この団体が政体で、この団体は人々から信託されている権力を所持する。

Aを補強:政体が信託を破る場合には、社会は政体に抵抗できる。

Bを補強:神が授けた自然法の下に人間は共同社会を形成していた

Cを補強:実定法ではなく自然法により法下権利を授かっている

↓補強の結果として

人間にとって経済的に価値あるものは、政体に先立ちその指示を受けずに存在する。

経済領域は政体からは独立した現実としてある。→ 社会=経済(生産・交換・消費) アダム・スミス

「経済」を独立させた革新的アイデア

経済とは本来は家政→国を一家と見なし、家政する→国家経済は自律的な法則をもつ

経済が支配する社会生活は、国家の領域外

公論 public opinion という観念の誕生

社会に重要なことは公、また政体も公。

公論とは、個人の意見の総和でなく、階層のない私的回路で熟議によって共有された共通の意見。しかも公である政体と教会とは異なった空間で熟議される。

経済と公論とが、Aを補強。だから政体は社会の自立性を認め、社会からの制限を受ける。

アリストテレスの分類(政体 polisと家体 oikos)を壊す。

ヘーゲルの倫理生活分類(家族、市民社会、国)による市民社会の誕生(家族でも国でもない第三項)。

2種類の希望が自由に脅威をもたらす

(1)自己決定権へのこだわり→社会が国家を呑みこむ

社会は、政体に先立って存在している。

社会には、政体を作り上げたり崩したりする権利と力がある。ペイン、米独立革命

市民 “We, the people” には、政体とは別なアイデンティティや意志がある。

非政体的な社会を構築する。サン・シモン

(2)政体を周縁化する→国家による統制を拒む

経済産業のつながりが国家・政体を不要にする。グローバル資本主義

社会は文明(平和,啓蒙, 発展する生産・芸術・科学,洗練された振る舞い)化されなくてはならない→政体は文明化達成のための手段→政体は社会に介入しないほど善。

ルソーの一般意志

(1)とギリシア・ローマ共和制とを混ぜる

①社会契約、②意志により形成される社会、③内なる声としての自然

④お互いが顔見知りである単位の政治社会

近代では④が抜け落ちる→だから(1)のみの残る

自由を奪う逆説:

政体変革のために個人は命を捧げることが正当

政治権力は、国民の意思を実践するために強化される

スミスの見えざる手

(2)は集団的意志を無視する。また公的な心を捨てて個人的満足追求の肯定→「甘い専制」despotisme douxを生む

モンテスキュー

絶対君主制はデ・ファクト政体→AとBはそのまま→問題点は、君主制が独裁制に陥るのか、法による制限を受けるのか。

法を執行し守る独立機関が政体を監視しバランスをとる。→C, D, Eの活性化

ギリシア・ローマ型への賞賛

君主制は共和国と相反する。

∵共和国は公共善への献身(vertu)、厳格な道徳、平等

  君主制は名誉(honneur)への固執、王権の強い主張、特権階級意識、富の誇示

  名誉への固執があるから、君主制において自由が守られている。

ヘーゲル

自律した非統制の経済が温和であるはずがない。

市民生活にはそれ自体で独自の価値がある→市民生活=非政治的公共空間→非政治的なアイデンティティがある

『法哲学』:家族、市民社会、国という分類→市民社会の誕生

しかし、市民社会は国に組み込まれてこそ生き延びる。(ロック型とモンテスキュー型の融合型)

(1)国家の一般意志が押しつける画一性に陥らない

(2)非統制で自己破壊的な経済力の虜にならない

トックヴィル

専制に陥らないためには結社・団体が必要

∵団体を介して、私が支配している感覚が維持できる→団体は政治目的とからむことが必須

各団体は団体内で自己支配する

自由な社会への道

自由社会: 一般意志が実現されている、政体のない領域

自由社会の二つの相反するイメージ

(1) ジャコバン民主主義: 共通意思を形成できたときに、人々は独立し、自由になれる→レーニン主義

(2) 自己統制社会生活: 国家による制約から自由で、経済活動ができる

第三の道
  トックヴィル:団体が、非中央集権的な分割された権力をもつ。


I



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