◆二元対立の英語感覚◆支配領域《内⇔外》Part5 to不定詞と動名詞の能動・受動
to不定詞:目標行為を能動的に行う
動名詞:感情刺激を受ける
中級者向け文法書として定評のある『ロングマン アレクサンダー英文法』には、別項でみたprefer のように、同じ動詞でも、to不定詞をとるのか動名詞をとるのかによって意味が微妙に違ってくる例があがっています。
(1)
(a) お邪魔にならないようにしたいのです。
(b) I hate to disturb you. (but I’m going to)
(c) I hate disturbing you. (in general)
各文末のカッコ内に注意書きによれば、(1 a)では、to不定詞をとる場合には、お邪魔にならないようにしたいのですが、いまから邪魔をしますという意味合いになります。一方(1 b)のように動名詞がくると、お邪魔にならないようにしたいという一般的な気持ちや態度があらわされることになります。しかしどうしてこうした違いが生まれるのか、その説明はありません。
ここでto不定詞はその主語の支配領域内、動名詞はその主語の支配領域外ということをあてはめると、なぜカッコ内のような意味合いになるかがわかります。
(1 b)では、たとえば会社で仕事中の同僚がいる場面を想像してください。同じ部屋で机を並べている私が、その同僚の仕事を邪魔をするかしないかの選択は私のコントロール下にあります。しかし緊急のメッセージがたとえば社長からあり、同僚にどうしても伝えなくてはならないとき、私としては邪魔はしたくないが、社長メッセージがあるので、邪魔をする選択をあえて選ぶようなときです。ここでは、邪魔をすることをあえて選択しても、それが私の本望ではないことが相手に伝わります。
これに対して、(1 c)が使われる場面は、私は非正規雇用として専門外の部署に採用され、正社員であるベテランのあなたにあれこれこれまで教えを請うてきました。ところが私がミスを犯してしまい、相手からなぜ俺にどうしたらよいのか尋ねなかったのかと詰め寄られたときの回答です。あなたの邪魔をするということは、私との心的な接触から切り離され、私の意思では変えることのできない事実として客体化されます。私が「邪魔をすること」によって、あなたが邪魔される事態になり、そんな事態から私は嫌な気持ちにさせられるということになります。ですから、(1 b) (1 c)は同じ I hate であっても、動名詞をとる場合には、(1 b)のように私は「邪魔をする」か「邪魔をしない」かの選択ができる動作主ではなく、「嫌な気持ちにさせられる」経験者なのです。
こうした違いは、次のように公式化することもできます。
(1 b)では、たとえば会社で仕事中の同僚がいる場面を想像してください。同じ部屋で机を並べている私が、その同僚の仕事を邪魔をするかしないかの選択は私のコントロール下にあります。しかし緊急のメッセージがたとえば社長からあり、同僚にどうしても伝えなくてはならないとき、私としては邪魔はしたくないが、社長メッセージがあるので、邪魔をする選択をあえて選ぶようなときです。ここでは、邪魔をすることをあえて選択しても、それが私の本望ではないことが相手に伝わります。
これに対して、(1 c)が使われる場面は、私は非正規雇用として専門外の部署に採用され、正社員であるベテランのあなたにあれこれこれまで教えを請うてきました。ところが私がミスを犯してしまい、相手からなぜ俺にどうしたらよいのか尋ねなかったのかと詰め寄られたときの回答です。あなたの邪魔をするということは、私との心的な接触から切り離され、私の意思では変えることのできない事実として客体化されます。私が「邪魔をすること」によって、あなたが邪魔される事態になり、そんな事態から私は嫌な気持ちにさせられるということになります。ですから、(1 b) (1 c)は同じ I hate であっても、動名詞をとる場合には、(1 b)のように私は「邪魔をする」か「邪魔をしない」かの選択ができる動作主ではなく、「嫌な気持ちにさせられる」経験者なのです。
こうした違いは、次のように公式化することもできます。

この類例をもう少し見ていくと、コンサートに行くので、遅れて行くわけにはいかないのに、お化粧がまだすんでいないときは、遅れる遅れないの選択は私にでき、たしかに遅れるのは嫌は嫌なのだが、お化粧をきちんと済ませたいときには、
(2)
(a) I hate to be late for the concert, but I need a few more minutes before I’m ready to leave.
(b) コンサートに遅れるのは嫌だけれど、家を出るのはもうちょっと後にして。
遅れるという目標となる行為を、その行為の動作主である私がするのは、私は嫌だという能動的感情をもっているというわけです。
これに対して、コンサートに行くときはいつも早目に家を出るので、なぜかと尋ねられたときの答えは、
(3)
(a) I hate being late. It’s a serious annoyance for an attentive audience.
(b) 遅れるのは嫌なの。みんな聞き耳立ててるのに邪魔じゃない。
どんなケースであれ会場に遅れて着くという一般的な行為(自分の意志の領域を越えた、客体化された事実)を実際にすれば、遅れるという刺激によって、私は嫌な気持ちになる(受動的感情)から、動名詞を使います。
To不定詞と動名詞のこうしたニュアンスの違いがわかると、次の文の意味もわかってきます。
(4)
(a) I like to jog, but don’t like jogging every morning.
(b) ジョギングもいいけど、毎日はちょっとゴメンだ。
to jog というto不定詞から、軽く走るという行為に対して、それをするしないは動作主である私の管轄下にあり、しかもto jogに対して私は好感 (likeという能動的感情) をもっていることがわかります。しかし、いくら軽いとはいえ実際に毎朝走るとなる(jogging every morningという刺激)と、そういう経験をすることになる私の気持ちとしては御免被りたいということになります。
さらに like + to不定詞/動名詞 を追いかけていくと、体をほぐすのは、ストレッチ体操、散歩など私が選べるものは色々ありますが、マッサージチェアに座ること(目標となる行為)が私はいいんです(能動的感情)というときには、
(5)
(a) I like to sit in a massage chair to relax my back. I hate doing stretching exercises.
(b) マッサージチェアに座って背中をほぐしてもらうのが好き。でもストレッチ体操はだめ。
ところが、マッサージチェアで体をもんでもらうという刺激は、マッサージチェアが与えてくれるもので、私の管轄外にあり、その刺激を受ける(経験者)と日常のストレスから解放されるので、マッサージチェアが自然に好きになっている(受動的感情)というときには、
(6)
(a) I like sitting in a massage chair. It affords great relief from daily stress in my life.
(b) マッサージチェアに座ってのはいいね。日頃の疲れがすっ飛ぶね。