◇愛のエンブレム◇ 37

GRATVM AMANTI IVGVM.
Tribul. Si[c] mihi seruitium video, dominamque paratam,
Iam mihi libertas illa paterna vale.
Propert. Libertas quoniam nulli iam restat amanti,
Nullus liber erit, si quis amare volet.
愛する者には軛は歓迎。
ティブッルス 隷従と女主人が手はずを整えているのが私にはわかるから、
父祖から受け継いだ自由よ、ではさようなら。
プロペルティウス 愛していると自由は必ずなくなってしまうものなので、
愛そうとすると、誰しも、自由人ではいられなくなるだろう。
自由のために隷従を
自由をあらわす帽子を、アモルは足で踏みつけ、
かわいらしい隷従のくびきをしっかり握っている。
自由の名は、愛する者にはふさわしくないのだ。
愛する者は愛によって、自由に、自ら進んで隷属に導かれるのだから。
❁図絵❁
アモルは左手を腰に当て、右手で二重軛を悠々と垂直に立てて、軛を背負うことをものともしない態度を示している、しかも右足では、奴隷が自由人になるときに儀式でかぶるフェルト帽(pilleus プラウトゥス[➽26番]『アンピトルオー』1幕1場306行参照)を踏みつけている。
❁参考図❁

ルドルフ・デ・ヨンゲ (Ludolf de Jongh)「聖ラウレンティウス塔とロッテルダムの風景」1660年頃
男性は水路に浮かんだ木船の上で帽子を脱いで静かに立っている。男性が見つめている女性は腰に手をあてながらやはり男性をじっと見ている様子だ。二人の近くではカモが何匹も川面で遊んでいるが、二人はもはや、空を自由に飛べるカモのように、自由ではありえないようだ。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
ティブッルス:『エレギーア』(2巻4歌1-2行)[➽12番]。この歌では、詩人は新たにネメシスという女性に恋するが、この女性はすでに金持ちの男とよい仲になっている。そこで詩人はネメシスを取り戻すべく羞恥心を捨てて、徹底した隷属の行為に出ることを決断する。
プロペルティウス:『エレギーア』2巻23歌23-24行[➽14番]。この歌では、ローマのある自由人が、奴隷に金を払ってその奴隷の女主人の居所を突きとめる。そしてその女とよい仲になるが、喜びもつかの間、女から贈り物をせびられて、奴隷ではなく自由人の身分であるはずが、女に隷属する身となる。その「自由」の有様に、詩人は辟易し、ここの引用のように慨嘆する。詩人自身は、愛して女に隷属するよりは、愛の奴隷とならず自由の身としての自己尊重を保ちたいという。
〖注解・比較〗
隷従:「ますらをの 聡き心も 今はなし 恋の奴に われは死ぬべし」(万葉集 2907)。「大丈夫[立派な男]としてのしっかりした気性も、今は自分には無い。恋というものの奴隷として、死んでしまうだろう。口惜しい次第である」(佐佐木信綱 訳)。大丈夫であっても、恋に落ちれば、恋の奴隷となって、本来もっているその聡明な心操も崩れてしまう。精神的に強い男性も恋の手にかかると恋の奴隷となってしまうのは、ティブッルス、プロペルティウスの教えるところである。ただし彼らはさらに一歩踏み込んで、女が男の主人になると考えている。
