◇愛のエンブレム◇ 124
SERO PROBATVR AMOR, QVI MORTE PROBATVR.
Fidus ad extremum vitæ tibi, vita, remansi,
Nunc mea cum vita flamma sepulta iacet.
Iam satis, & plusquam satis est, satis vsqué probatum est,
Nam mea mors veri testis Amoris erit.
恋が本物か、死で確かめるのでは、手遅れな確かめ。
愛する女よ、僕は生命つきるまで君に誠をつくし続けてきたが、
今となっては、愛の炎は僕の生命とともに土に埋まっている。
すでに十分に、いや十二分に、そしてずっとしっかりと明かしてきたが、
でもこれからは死んだことが、愛の証となるだろう。
手遅れになる試練
ただ死によってのみ愛の真意が証されなくてはというなら、
証拠を見せたときにはもう手遅れだ。
死んで見せろというのはあまりにもすざまじい証だが、
十二分ではないが十分な証、ああそう、十分な証はこれまで見せてきた。
❁図絵❁
アモルは読者の方を向きながら、土に仰向けになり死んでいる男とその傍らで泣いている女性を紹介している。男の胸にはアモルの矢がささり、男は死んでも右手には愛の部隊旗✒を握り、しっかりと直立させている。
❁参考図❁
ピーテル・デ・グレッバー (Pieter Fransz. de Grebber)「戦利品を運ぶ者と凱旋門」1648 [1678?]年
オランダ総督フレデリック・ヘンドリックが没した後に、総督の寡婦が夫の功績を讃えるべく、ハウステンボス宮殿内を飾る多数の装飾画を依頼した。この絵はその一枚。凱旋門をくぐるのは、戦争に勝利し、白馬の曳く凱車に乗る戦士(姿は隠れて見えない)であり、その戦士の後には、戦利品を運ぶ奴隷たちでごった返している。凱旋将軍の乗る白馬のはるか前には軍隊旗が見える。なお、ヘンドリックはスペインと戦うオランダ独立戦争で大きな功績を収めた。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
典拠不記載:
〖注解・比較〗
部隊旗:ローマの各軍団(大隊・中隊・小隊)には部隊旗があり、小隊で使われていた部隊旗(signum)は、先端部に手の像があり、その下に冠などをつるす横木、さらにそれらを支える棒には円盤が付き、円盤には数字(おそらく部隊名にあたる数字)が記載されていた。したがって図絵の意匠は、古代の部隊旗の形を基本的には踏襲している。しかし先端の「手」の形が、報われない愛ゆえの悲しみの仕草であったり、円盤の意匠がアモルの矢で射られた心臓というのは、フェーンならではのものである。
死:「人の世を あはれときくも 露けきに おくるる袖を 思ひこそやれ」(『源氏物語』 9 葵)。「人の世の無常を 人の死に感じて 涙がちにつけ 残されたあなたの お袖の涙がしのばれて ただ今の空の色を見ましても、思いあまりまして」(瀬戸内寂聴訳)。六条御息所が、正妻である葵の上を亡くした光源氏に送った弔問の歌。源氏は白々しいと感じるが、それは嫉妬に狂った六条御息所の生霊が葵の上に取り憑いたために上が亡くなったから。御息所は死後も、源氏の愛する女性たち(紫の上, 女三宮)に取り憑くが、御息所が源氏にたいして抱く愛はこれほどまでに執念深かった。