◇愛のエンブレム◇ 123

Ouid.    TRANSILIT ET FATI LITORA MAGNVS AMOR.

Alciat.   Arentem senio nudam quoque frondibus vlmum

Complexa est viridi vitis opaca coma.

Exemploque docet tales nos quærere Amores,

Quos neque disiungat fœdere summa dies.

オウィディウス         愛が大きければ、宿命の岸をも渡っていく。

アルチャート    年を重ねて乾ききり、葉も落ちて裸になった(にれ)の木を、

                       すくすくと伸びる緑のブドウづるが影を作って抱きとめる。

                      この例から教えられるのは、最期の日がやってきても

                       断ち切られることのないような愛の絆を求めるべきだということだ。

死後の愛

 ブドウづるは、ずいぶんと長い年月を経た楡の木を、

まだ弱々しかった自分の茎をかつてささえてくれたので、いつまでも抱き、

歳をとった今もいつもいっしょにいる。

愛は死によって殺されず、死後にも続いていく。


❁図絵❁

アモルは死んだ男の重い左腕を、弓を杖にしながらしっかりとささえている。男は、胸を矢で射られているので、死んでも愛の心が生き続けていることがわかる。二人の後には、太い枯れた楡の木とそれにからみつくブドウづるがある。

❁参考図❁

アブラハム・ブルーマールト (Abraham Bloemaert)「ウェルトゥムヌス神とポーモーナ女神」1620年

季節神ウェルトゥムヌスは、果実の女神ポーモーナに求愛するが、いつも拒まれてしまう。様々な姿に変身する力をもつこの季節神は、ついにわざわざ老婆に化けて女神に近づき、求愛を退けたために不幸を背負った話や、互いに助け合う楡の木とブドウの事例を語り、ついに女神の心を変えることに成功する。


〖典拠:銘題・解説詩〗

オウィディウス:[➽世番]実際にはプロペルティウス『エレギーア』1巻19歌12行[➽14番]。詩人は、死は恐れないが、自分の死後に恋人キュンティアからの愛が醒めてしまうことを恐れている。そこで死後の自分の幻影がキュンティアにとりつけばよいと願って、引用のように告白する。

アルチャート:『エンブレム集』160番。アルチャートの原文では2行目と3行目の間に、ブドウづるには自然の営みがわかっており、子として親への恩を喜んで返すという意味の文が入っている。またその銘題は「友愛は死すらも越えて続く」であって、フェーンのように恋人同士の愛あるいは夫婦愛が前面には出てはいない。

〖注解・比較〗

宿命の岸:人間は死ぬと、この世から冥界に行くが、その境界にあるのがステュクス河。死者は渡し守カロンの漕ぐ船でこの世の岸から冥界への岸へと向かう。

アルチャート:〔1492-1550年〕著名なローマ法学者。いわゆるワッペンのような意匠を集めた冊子を執筆するよう貴族から依頼され、手すさびに書いた本(「エンブレム集」と命名)が爆発的な人気を博する。この「エンブレム集」がフェーンのようなエンブレム本の範例となり、出版当初は数十ページの小型本であったが、フェーンの時代には細かな活字の二段組みで1000ページを超す膨大な注釈版にまで発展する。

ブドウづる:ブドウの若木は楡の木を支えとして生育させるのが、ブドウの木の育て方であった。ウェルギリウス「ブドウの木は楡の木に付けてやるのが望ましい」『農耕詩』1歌2-3行。

死後の愛:「恨めしき (いも)(みこと)の 吾をばも いかにせよとか にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心(そむ)きて 家(ざか)りいます」(山上憶良(おくら)『万葉集』 794)。私の妻は、恨めしいことに、この私にこれからどうしろというつもりで、この家を離れてあの世へ行ってしまわれるのか。かいつぶりのように、二人仲良く並んで睦まじく語りあう、その交わりの心に背いて。これは、大伴旅人(たびと)が大宰府に着任後に、長年連れそった旅人の妻が死んでしまったときの挽歌の一節。旅人の盟友である憶良は、旅人の悲しみに共鳴し、旅人にこの歌を贈った。


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