◇愛のエンブレム◇ 120

VINCIT AMOR ASTV.

Ouid.    Centum fronte oculos, centum post terga gerebat
Argus, & hos vnus sæpè fefellit Amor.

愛は策略を使って勝つ。

オウィディウス        前面に百眼、背面に百眼をアルグスは

            もっていたが、これらの眼をアモルたった一人でしばしば騙しおおせた。

愛はすぐれて狡猾

    アルグスには見張る眼が百を下らないが、

 アモルは笛を使って、その眼をしっかりと眠らすことができる。

 油断なく見張っていても、アモルに騙されることがあるのだから、

 眠ってしまえば誰も彼も、アモルの手から安全ではありえないだろう。


❁図絵❁

 アモルが葦笛を吹いて、羊飼いのアルグスを熟睡させている。額にいくつもの眼があるこの男は、牧杖を両脚に挟み、頬杖をつきながら、木陰で寝入っている。

❁参考図❁

アブラハム・ダニエルス・ホンディウス (Abraham Danielsz Hondius)「メルクリウスとアルグス」17世紀後半
ユッピテル大神は雌牛に変身させられたイーオーへの愛を断ち切れないでいる。イーオーは羊飼いアルグスによって警護されているので、大神はまずメルクリウス神を遣わす。メルクリウスは笛を吹いてアルグスを眠らせ、そのすべての眼を閉じさせ、その隙に殺害する。つぎに大神は、見張りのいなくなったイーオーのもとに、自ら牛になっておもむき、その愛を成就する。なおメルクリウス神の別称は策略家である。またユッピテル自身が牛に変身したときには、「策略の牛」(ホラーティウス[➽21番]『歌章』1巻35歌28行[➽116番])とよばれている。


〖典拠:銘題・解説詩〗

典拠不記載:

オウィディウス:[➽世番]『恋の歌』3巻4歌19-20行[➽25番]。自分が恋する女性が不倫を犯すのではと見張りを付けても、女性の側で内的な節操がなければ意味をなさないということを教えている。そうした徒労の例として、百の眼を持つアルグスを見張りに立てても効果がなかった例を引いている。

▶比較◀

見張り:「この川ゆ 船は行くべく ありといへど 渡り瀬ごとに ()る人あるを」(『万葉集』 柿本人麻呂 1307)。<大意>「この川を舟で渡って貴女のもとに通えるというけれど、どの渡し場にも見張りの人がいる」。これは女の元に通えない理由を述べたもので、貴女は私にせっかく心を許しているのに、貴女の親や兄弟が監視しているので、私は困っているのですということ。このように嘆いているが、愛の持つ狡猾さや知恵は、それらを乗り越える可能性を常に秘めているから、作者はその想いを遂げたことだろう。


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