◇愛のエンブレム◇ 65

Ouid.    AURO CONCILIATVR AMOR.

Cur Amor (heu) donis nunc illaquearis & auro?
 Qui dum simplicitas illa paterna fuit,
Ex mero amore soles facilem aspirare fauorem;
 Nunc iacet (ah) virtus; in pretio at pretium est.

オウィディウス        金があれば愛は手に入る。

アモルよ、ああどうして今、黄金という贈り物の罠にはまるのか。
先祖から伝わるあの質素さに生きていた頃、 お前は、愛が清純なら好意をすぐに示したものであったが、
今ではなんと、そういう美徳は二の次で、一番大事なのは金なのだ。

売買される愛

 愛がときに財宝のために売られるのをみると、
<愛>が不平をいうのももっともで、愛は大変な虐待を受けているといってよい。
まるで愛が貴重なのは、まさに(かね)の値打があるからにすぎず、
商人も愛に価格をつけて普通に売れるかのようだ。


❁図絵❁

二人のアモルのうちの一人が、金製の容器やネックレスがのったお盆を差し出している。もう一人のアモルはその盆を受け取って、矢筒と弓を捨てている。

❁参考図❁

クエンティン・マセイス (Quentin Massys)「不釣り合いなカップル」1520-1525年頃

若い女性が淫乱な老人のあごを指で挟むと、老人は女性の胸をさわり、顔を自分の所に引き寄せてキスしようとする。女性の方は、そんな行為に夢中になる老人の財布を、自分の左手でつかむと、それをそっと老人にはわからないように相方の道化に渡す。金で結ばれる不釣り合いな男女というテーマは、新大陸発見などによって富が一気に増大した16世紀前半に特に流行した。


〖典拠:銘題・解説詩〗

オウィディウス:[➽世番]『恋愛術』2巻278行[➽2番]。女性の愛を勝ち取るために、詩を贈るのは確かに女性に喜ばれるが、女性が本当に欲しがっているのは金品なので、貧乏では愛は勝ち得ないと警告されている。前々行から引用すると次にようになる。「金持ちであるなら、外国人であろうと女はご満足。/今は黄金時代。金さえあれば名誉は/いくらでも付いてくる。金があれば愛は手に入る」。

典拠不記載:最終行の末尾は、オウィディウス「一番大事なことは金になっている」(『祭暦』1巻217行[➽10番])。かつて贈り物は銅製品、貨幣は銅貨で満足していたが、いまや黄金でなくては相手にもされなくなっていることがまず指摘され、つぎに銅の時代であれ金の時代であれ、どちらの時代の慣習も尊重されなくてはならないと忠告されている。

▶比較◀
:「西の市に ただ(ひと)()でて 眼並べず 買ひてし絹の (あき)じこりかも」(『万葉集』作者不詳 1264)。「西の市に一人でいって、見くらぺもせず買ってしまった絹の、買いそこないよ」(中西進 訳)。人がにぎわう平城京の公設市場で高級品である絹を買ったが、よく見比べもせず慌てて選んだために悪い品物をつかんでしまったという意味。この粗悪品にことよせて、相手のことをよく吟味せず、自分にはふさわしくない人を恋人にしたことを自嘲している。奈良時代には貨幣経済が浸透しだし、この歌のように、女性も商品に暗にたとえられるようになった。


◇愛のエンブレム◇ 65
◇愛のエンブレム◇ 題銘一覧(邦訳版)
◇愛のエンブレム◇ 題銘一覧(英訳版)
◇愛のエンブレム◇ 図書検閲済
◇愛のエンブレム◇ 124
◇愛のエンブレム◇ 123