◆日英語の認知相違◆ 1.《英語認知の基本》 行為者と受け手でよいのか?
主語+動詞+目的語:自(主語)が他(目的語)に力を及ぼす
主語と目的語:際立ちの優先順位が違う
認知言語学という20世紀中葉から欧米で急速に発達した言語学の分野がある。[1]この言語学で踏襲されている基本構造は、行動連鎖 (action chain) と名づけられているモデルである。図1の2つの円は、Aのほうが行為者 (agent) 、Pのほうは受け手 (patient) で、→は行為者から発せられた力(energy) を示している。下の図は、文の要素にあてはめると、Aが主語、Pが目的語、そして力が動詞ということになる。

英語は、二元対立でできているとすでに説明したが、ここでも行為者と受け手というように二元対立がしっかりと生きている。そしてさらにここでは、一方から他方へという力の流れが意識されている。何かが他のものに力を及ぼすというこのモデルからすれば、A (行為者) がP(受け手)を変化させる、影響を与えるといった力をもっているかぎり、Aは行為者と訳しているとはいえ、意思をもった人である必要はない。モノでもコトでもよいことになる。
図1は、学校文法の文の要素にあてはめると、Aが主語、Pが目的語、そして力が動詞ということになる。とすると、<主語+動詞+目的語>という並び方だけみているのでは十分ではなく、主語が目的語に影響を与えて、目的語を変化させるという意味がそこにはいつも潜んでいることを認知する必要がある。たとえば、私は病気のペット犬をしっかりと抱いたというなら、 “I hugged my sick pet dog firmly.” となるが、私が犬に力を及ぼして、病状を変えてその重荷を少しでも軽くしようとしているという意味まで読み取る必要がある。
こうした意味の読み取りだけではなく、もうひとつここで注意したいのは、図1の矢印の方向である。矢印の方向に注目すると、AとPどちらに最初の関心があるかといえば、Aである。Aがもっとも際立っているのであって、Pはその次に向かう関心である。AとPの際立ちについて、ここで思い出す必要があるのは、だまし絵だ(図2)。

この絵では、青から紫に色がしだいに変わっていく背景に、若い女性が画面左奥を向いているように見えるし、また顎がしゃくれた老婆が斜め下を静かに見つめているようにも見える。この場合、私達の視線は、背景の色が何らかの意味をになっているものとしては捉えず、それ以外の描かれたもののどこかに際立ちを見つけ、その際立ちから視界にある様相が立ち上がってくる。視線がどこに際立ちを見つけるかによって様相は異なってくる。だから何にもっとも際立ちを置くのかは、状況や対象をどういうものとして把握しているかに深くかかわっているのだ。
こうした際立ちの優先順位が異なっていることを明示するために、認知言語学では、行為者―受け手という代わりに、Aをトラジェクター(軌道体 trajector)、Pをランドマーク (基準点 landmark) という。
だからたとえば、同じハンドバッグをひったくられるでも、後ろから歩いて付けてきた男ではなく、バイクに乗ってやってきた男ということを際立たせたいなら、
(1 a) A man on a motorbike snatched my handbag behind me.
(1 b) 後ろからバイクに乗ってやってきた男が、ハンドバッグをひったくった。

バイク男にやられて、その男の力がハンドバッグに及んで、ハンドバッグは今は私の手許になくなってしまったということになる。 これに対して、被害にあったのは他ならぬ私で、ひったくられたのはハンドバッグという際立ちの優先順位にするなら
(2 a) I had my handbag snatched when I was walking on a deserted street.
(2 b) 人通りの少ない所を歩いていたら、ハンドバッグをひったくられた。

以上のことを踏まえると、力を潜在的にもっているトラジェクターが、実際にその力を発揮して、ランドマークを動かし変化させるのが英語の基本モデル(図5)ということが浮かび上がる。

[1] 認知言語学は、人であるなら皆言葉を使うが、では使用できるために必要な認識方法や言葉への知識はどのようなものなのかを問う。そして問うにあたって、認識方法・知識を、知覚、記憶、感情まで含めた心の仕組みに結びつける。と同時に認識・知識・心の仕組みはいつも単語や文に対する意味づけと連動するものとして考察がなされる。認知言語学では、言語が異なるとその言語を使う人の心の構えも異なっているという基本理念(サピア・ウォルフの仮説)を踏襲している。