前置詞: 認知パターンが前置詞を動詞化する
前置詞:日本語認知パターンは動詞枠
前置詞の語義について、すでに多くの良書が出版され、語義については正確にわかるようになってきた。そうした本では、arrive at 場所 ではなく、arrive in 場所 という形がどういう場合に可能なのか、その部屋の鍵というとき a key of the room ではなく、 a key to the room という理由も解説されている。
ところがこうした本においてすらも、まるで前置詞は、日本語のテニヲハにあたるものであるかのように取り扱われていることが多い。そうした捉え方をすると見落としてしまいがちになるのは、英語の前置詞は日本語では動詞に転換することである。
(1) I have been weeding in the garden since this morning.
今日は午前中からずっと庭で草むしりやってるんだ。
(2) That student in glasses with red frames is good at speaking English.
赤色のフレームのメガネをかけたあの学生は、英語をうまく話せる。
(1)はたしかに~でで日本語の助詞と対応するが、(2)は前置詞が従える名詞にあわせて動詞化していることがわかる。
日本語に転換する際に起こるこのような動詞化は、ほとんどすべての前置詞に起こることで、それぞれの前置詞のコアになる意味を覚えて、訳すときにはそのコアの意味が生きるように動詞を補うことを自然に行っている。当初はこの動詞の補いに抵抗を誰もが感じるが、そのうちに慣れてしまい、英語では前置詞1語で済むのに、日本語ではそこに動詞を補わなくてはならないことが意識にのぼらなくなっている。
(3) We cleaned and ornamented the grave of our deceased ancestors after the old custom.
先祖の墓を昔からの習慣にならって、掃除して飾り付けをした。
(4) The West was surprised at the news of the Russian invasion of Ukraine.
西側諸国は、ロシアのウクライナ侵攻のニュースを聞いて驚いた。
(5) We talked over lunch at an expensive restaurant to warm up our old friendship.
高級レストランで食事をしながら、旧交を温めた。
英語の前置詞が日本語では動詞化するのはなぜだろうか。これは、対象をどのように認知するのかという日英の認知パターンの違いに由来している。
日本語は「モバイルカメラ」であって、ある出来事や状況内のとある対象とじかに向かい合い、その対象を映し、それが済むとそのショート動画の映像を引き継ぎながら、その出来事・状況内の別な対象と向き合い映して、前の映像を組み立て直しながら、出来事・状況全体をいいあらわそうとする。
(5)の例でいうなら、①高級レストランで食事をするという対象に焦点をあて、その対象を引き継ぎつつ、次に②旧交を温めるという対象に焦点を移して、別な映像を①に並列させることによって、出来事全体を表現している。つまり自分カメラの映像は、モバイルカメラなので異なった焦点で撮られた複数のショート動画が撮れるということで、そうした複数の動画を重ねて一枚の映像を作り上げる認知パターンといってよい。そして一枚一枚の動画はショ一トトピックで、~する、~があるといった動詞で枠付けられている。
これに対して「スタジオカメラ」の英語では、話し手である自分とは別なもうひとりの自分が、対象と距離をおきながら対象と対峙し、対象を客観的に叙述していく。このカメラは移動不可なので一つの焦点しか結べないために、出来事・状況の映像を一枚の絵にするには、出来事・状況のある一つの対象に焦点を定めて、その核となる対象とは別な出来事・状況内の対象は、核の対象に付け足していくことによって、一枚の絵の中に組み入れられていく。この単一焦点化は主として動詞がその役割をになうが、英語の文では一文一動詞が原則なのはそのためである。動詞に付加として付け加えられる対象には前置詞が使われ、前置詞は動詞という中心に追従するようになっている。
カメラの比喩を敷衍させれば、日本語は多焦点独立動詞枠であるに対して、英語は一焦点動詞従属枠といってよいだろう。認知言語学ではここでいう多焦点独立動詞枠は「動詞枠づけ言語」(verb-framed language) と、一焦点動詞従属枠は「衛星枠づけ言語」(satellite-framed language)として区別している。衛星というのは、星を中心として周るので、一焦点動詞を星に、付加される前置詞句などを衛星に見立ててこのようにいう。