奥行き感覚:   2次元世界の視覚錯誤 (1)

2次元から3次元へ 

 4Kテレビの登場により、テレビ画面の精細さがこれまで以上に増し、画面を観ている私たちは今まで以上に深い臨場感を味わえるようになりました。この迫力は、その画素数がフルHDの約4倍、初期カラーテレビの約8倍(図1)なので、映像が鮮明になり、色彩の再現性も増し、明暗部分の差が明瞭になったことから生じています。4Kテレビが可能にした鮮明さ・再現性・明暗差への探求は、美術領域ではすでに1960年代後半からスーパーリアリズム絵画(図2)として開花しています。また医療の場では肉眼直視から顕微鏡下直視による歯などの治療(図3)として1980年代から実践に応用されています。だだこうした映像が人に与える強い迫力にもかかわらず、その映像は一時期もてはやされた3Dテレビが体験させてくれる立体映像ではなく、2次元平面に投影された仮象の奥行きしか持っていません。仮象の奥行きしか持たないことは、スーパーリアリズム絵画でも顕微鏡が提供する映像についてもいえます。

図1 鮮明さの比較(ソニー)

 仮象の奥行きを限りなくリアルな奥行きに近づけようとしているのが、メタバースです。コンピューター・グラフィックス技術(CG)を利用して、3次元の仮想環境を作り、奥行きのあるその環境内で人は体を自由に動かすことができます。人はもはやテレビ・絵画・顕微鏡などの映像が提示する環境外に立っているのではなく、環境内の奥行きの場で物理的な自然の法則に制約されることなく動くことができます。この3次元空間では、人はもはや鑑賞者ではなく、奥行きをともなった空間のなかで活動できる参加者(ユーザー)として、仮想体験をします(図4)。

図4 メタバース上でのがん患者同士による座談会 (PRTIMES

 仮想3次元空間を現実の3次元空間に漸近させているCGの技術には、奥行きの広がりについて特に限定していえば、光が物に当たったときに生じる反射・屈折を再現するレイトレーシング、ユーザーが視線の焦点を合わせた物体を鮮明に表示するフォーカスシフト、そしてユーザーの動きや位置を検出してユーザーの視線の動きに沿って物の見え方に変化をもたせるモーショントラッキングなどがあります。しかし、メタバース下における奥行き再現へのこうした精緻な工夫にもかかわらず、メタバースを実際に体験すると、現実の空間で通常の活動をするときに感じている奥行き感覚とどうしても馴染まないことがあります。視覚的な奥行きの違和感は、メタバースでは触覚など視覚以外の感覚が働かず総合的に奥行きを把握していないからと考えることもできますが、私たちの通常の視覚のあり方と馴染んでいないからということも大きな要因になっていると考えられます。

知覚脳

 私たちが眼で見てものを知覚する働きは、どのようにして行われるのでしょうか。最も一般的な考え方は、眼球の構造がカメラの構造と似ているからだというものです。確かに、眼球の水晶体にはカメラのようにレンズがあり、その焦点(ピント)の調節可能にする毛様体筋もあります。また瞳孔の大きさを調節して、眼に入る光の量を制御する虹彩はカメラの絞りの役割を果たし、光を集めて像を映し出す網膜はフィルムのような機能をになっています。実際、牛や人間の眼の解剖が行われ、レンズを使った光学機器(天体望遠鏡・顕微鏡)が実用化された17世紀には、カメラの前身であるカメラ・オブスクーラ(図5)が眼と同様の働きをしていると考えられていました。の考えに積極的に賛同していた学者の一人が、天文学者ケプラーです。

図5 ファン・ベーフェルヴェイック『病の宝蔵庫あるいは
病の治癒術』1642

 しかし、眼で見ることは、レンズや網膜だけではできません。網膜に映った像は、神経を通って脳に送られます。そして、脳がその像を解釈して、私たちはものを見ていると感じます。では、脳はどのように像を解釈するのでしょうか。
 この問題に対して、後世まで影響力をもつ仮説を提供したのが、17世紀の哲学者デカルトです。心身二元論を確立したこの哲学者は、脳の中央下部にある松果体という器官が、網膜からの刺激を受けて、血液から<動物精気>という精妙な気体を作り出し、この物質の動きによって脳内で像ができるのだと提案しました(図6)。つまりデカルトは、網膜に映じた像にとってかわる像が脳内に生じるので、私たちは見ることができるのだと主張したのです。この主張は、脳内のどこかに対象の像が反映されれば、それで視覚経験の説明は完了したとする点で、レンズとフィルムを基本とするカメラ・モデルの同系統です。

図6 デカルト『人間論』 1648

 21世紀になり、優れた電子機器の登場により視覚中枢神経の機能をかなりな精度で分析することが可能になってきました。たとえば、脳の活動領域を映像化してリアルタイムでの観察を可能にするfMRI(機能的磁気共鳴画像法)、脳内の代謝や血流を映像化するPET(陽電子放射断層撮影)、脳の表面付近の血流変化を測定し、脳活動のマッピングをする光トポグラフィーなどの機器がそれにあたります。こうした高度な機器による測定から明らかになってきたのは、目の網膜で捉えられた映像は、神経の電気信号に変換されて脳内に送られますが、その送り方にはよじれがあるということです。
 たとえば、テニス・ラケットのネット部分を右側に、持ち手の部分を左側になるように置いた場合、ネット部分は右眼の網膜にも左眼の網膜にも左側に映ります(図7)。次に、ネット部分のそれぞれの視覚情報は、中枢神経の外側(がいそく)膝状核(ひつじょうかく)(lateral geniculate nucleus, 通称LGNd)で統合されます。外側膝状核は、脳内の右と左に対照的に位置し、この場合、ネット部分の映像情報(図中の緑色部分)は脳内の左側の外側膝状核で処理されます。同様に、ラケットの持ち手部分は、向かって左側にありますが、左右の眼の網膜では右側に映し出され、右に映し出されたその情報(図中の赤色部分)は、右側の外側膝状核で処理されます。
 こうして半分の視野が脳内で入れ替わり結合され、右と左の視覚情報はそれぞれ別ルートで、後頭部の視覚皮質一次野(Primary visual cortex)に達します。この一次野で、右側のネット部分と左側の持ち手部分のそれぞれの情報が統合されて一つの視覚情報になります。

図7 視覚成立の仕組み (Goodale and Milner. Sight Unseen. 2nd ed. 2013. 鈴木による一部改変)
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