「見える」の意匠: 顕微鏡下直視と顕微鏡下鏡視の治療法間にみられる破折
顕微鏡歯科治療の興隆
顕微鏡を利用した歯科治療が、世界で徐々にですが広まってきています。2024年現在の日本では全歯科医師のおよそ6%が使っています。広まりつつある理由は、肉眼直視よりも顕微鏡下直視の方が、治療部位をはるかに正確に細かく見ることができるからです。肉眼直視に比べて歯科用顕微鏡の総合倍率は最低で3倍、最大で20倍にもなりますから、その精密度が格段に優れていることは容易にわかります。
ただそのような高性能をもつ顕微鏡利用には、ちょうど倍率の高い天体望遠鏡を使って星を観察するときと同様に、難点があります。対物レンズの見える範囲は狭いので、見たい箇所にレンズを合わせるのは、肉眼のようには簡単ではありません。また焦点が自動で合うわけではないので、患部をぼけずに正しく見るためにはいちいち焦点を合わせる必要があります。そして対物レンズは顕微鏡のアームに固定されているので、特定の患部を見ようとすると、対物レンズの位置をその都度動かしていく作業も必要になります。こうしたハードルもあって、顕微鏡利用がうまくできない「難民」までが登場するようになってきました。にもかかわらずその高い精密度ゆえに、利用する歯科医師は増えています。
顕微鏡下直視に迫る課題
ただこうした困難さを乗り越えて顕微鏡が自分なりに満足のいくよう利用できるようになると、別種のハードルが待ち構えています。それは死角をどうやってなくすかという問題です。いうまでもなく歯は立体形で、歯肉に対して直立したビルのように隙間がほとんどない状態で林立しています。肉眼で歯を見ることを思い浮かべてください。歯の唇側(近心)は見やすく、歯の喉側(遠心)は見にくいことがわかります。近心の見やすさ、遠心の見にくさは、肉眼を顕微鏡の対物レンズに置き換えても同じです。歯の遠心側、そしてそれが喉側に近ければ近いほど、その見にくさの度合は高くなります。そこで必要になるのが、歯科用ミラーです。遠心側にミラーをおけば、当然、その側が鏡面に映り、その鏡面を対物レンズが捉えれば、死角となる範囲は格段に減少します。
顕微鏡下鏡視のかかえる利点と難題
ミラーを使いこなすことができれば、死角を減らすことができるのです。死角も少なく、拡大もできるとなれば、医師は治療部位の状態はもちろんのこと、実際の治療にあたっての機具と歯の接触部分が作り出す歯の削り具合などもほぼ完璧に医師が把握できるようになります。こうした利点をもたらすミラーですが、ミラー利用は同時に医師に負荷をかけることになります。どんな負荷か? 鏡を見ながら髪のセルフカットをしてみてください。ハサミは奇妙に動き、遠近の感覚もまるで別世界です。そうなのです。鏡像は前後、左右が反転し、実物を縮小させて見せるのです。
鏡像のかかえる複雑性
常識では、鏡像は左右反転だけで、それ以外は現実の大きさと同じというように見なされていますが、実際には、左右だけではなく前後にも反転しています。また鏡に映る自分の姿を指でなぞればわかりますが、その姿は原寸大ではなく縮小されています。鏡像には左右・前後反転、縮小という特徴が潜んでいるのです。
これを歯科治療にあてはめるとどうなるでしょうか。ミラーが映し出す像を見ながら治療をすると、ドリルなどの器具の動きは鏡像に映る動きと前後・左右が反対にならなくてはなりません。またその動きも肉眼直視の際の幅・奥行きの感覚よりも、鏡像は実物の縮小なので、器具を動かす際には通常の距離感覚とは異なった別種の感覚が必要になってくるのです。
修練を要求する顕微鏡下鏡視
こうしたミラー感覚を習得するには、自分に向かって、前後・左右反転、幅・奥行き注意などと言い聞かせるだけでは十分ではありません。ちょうど自転車に乗れるようになるために、「バランス! バランス!」と自分に言い聞かせてもうまく乗れるようになれないのと同じです。そのような付け焼き刃で間に合わせようとする安易な態度は捨てて、ミラー利用に熟達した師について徹底した指導を受ける必要があります。一人前の医師が再び生徒に逆戻りするにあたっては心理的抵抗がありますが、よほどの天賦の才能がない限りは、ミラー利用を単独で身につけるのはおそらく不可能でしょう。
見解の相違が示す顕微鏡下・直視と鏡視との差
肉眼直視に比べて、顕微鏡下直視の方が、治療部位の把握、治療中にあたっての機具などの動きを正確に捉えることができます。そしてこの正確な把捉の度合いは、顕微鏡下直視よりも顕微鏡下鏡視の方が勝るということにも当てはまります。医師であるなら患者に低侵襲の治療を施すことを誰もが目指しますが、そうであるなら、顕微鏡下直視に満足せずに、顕微鏡下鏡視へという流れが理論的には必然ということになります。にもかかわらず、そうした流れには今のところなっていません。
顕微鏡下鏡視の側に立つ歯科医師は、顕微鏡下直視から離れられない医師は、ミラー・テクニック習得を怠っていると暗に想像しています。それに対して、顕微鏡下直視の側からは、治療には顕微鏡だけで必要十分であり、死角は顕微鏡で十分に消せるから、ミラー・テクニックの習得は不経済だと内心、感じております。
直視と鏡視の相違は伝統・認知方法
顕微鏡下直視にこだわる医師と、顕微鏡下鏡視を推進しようとする医師との見解の相違は、怠慢、徒事といったことでかたづけられるのでしょうか。両者の間に横たわる溝は、そうした表面上のレベルではなく、むしろ、医師自らが自覚していない「見る」ことをめぐる、異なった2つの伝統・認知方法にそれぞれの医師がよって立っていることから生じています。ですから実は両者の水路の違いは、歯冠破折ではなく歯根破折のように、根が深いのです。
顕微鏡下直視派と顕微鏡下鏡視派の見解がどのように異なり、そしてそれぞれの派の背後に潜む伝統・認知方法について論じたものが、次のスライド(日英併用)です。これらのスライドでは
1. それぞれの派がどのような日本の表象伝統に依拠しているのかを明らかにしています。
2. 両派を支える認知方法を洗い出し解説しています。
3. 日本人の感性、生物の棲みわけの観点から両派の統合可能性を提案しています。
これらの側面を明確化することで、これら両派の違いが根深いにもかかわらず、今後は破折のまま進んでいくのではなく、調和が図られる道があることを示しています。