奥行き感覚:   2次元世界の視覚錯誤 (3) 両眼視と単眼視

立体的奥行きの発生 

 私たち人間は、右眼と左眼の2つの眼を持っていますが、通常、見える世界は一つに統合されて認識されます。この現象は、両眼融合とよばれています。具体的には、右眼と左眼がそれぞれ異なる角度から見た映像を脳に送りますが、脳はこれらの映像を一つに融合させて処理します。この結果、私たちは一つの連続した映像としてものや出来事を見ることができるのです。
さらに、この両眼で見ることにはもう一つ重要な機能があります。それが両眼立体視(ステレオプシス)(binocular stereopsis)です。両眼立体視とは、右眼と左眼のそれぞれの網膜上に生じる映像の微妙な差(両眼視差)を利用して、対象までの奥行きや距離を認識する能力のことです。たとえば、同じ対象であっても、右眼から見た場合の対象の映像と左眼から見た場合の対象の映像では、視点がわずかに異なるため、それらの映像の間には違いが生じます。脳はこの微妙な差を分析し、対象の空間的位置や対象がもつ奥行きを計算します(図参照)。これにより、私たちは世界を三次元のそれとして認識することができるのです。

図 (a)                              図 (b)

緑線:ホロプターとよばれ、両眼で見たときに同じ位置に見える奥行の範囲 
青点(大):1つの奥行に対して、両眼の焦点が合わさった点 
赤点(大):ホロプターから外れた位置にある点 
青点・赤点(小):青・赤点が網膜に映る位置
黄矢印:網膜上での青・赤の位置の違いとその差の大きさ。(a)と(b)では位置の違いと大きさが真逆になっている。この違いと差により脳は物体の位置や奥行を計算し、3次元世界を認識する。

出典:ワシントン大学心理学講座333(Geoffrey Boynton)

両眼視

 両眼視というのは、直接には文字通り、両眼で見て認知することですが、この認知には両眼視差にもとづいて立体感と奥行き感を知覚するという重要な機能が含まれています。両眼視差が機能として働いているとき、両眼視は純粋両眼視とよばれます。純粋両眼視は、単眼視によって得られる対象の輪郭や特徴の情報を検出する過程とは別個の働きをしています。
 純粋両眼視は、私たちが立っている場所から数メートル以内の距離でもっとも効果的に機能します。この距離内で、私たちの両眼の間にある幅が、物体の奥行きや立体感を理解するための重要な手がかりとなります。この距離が数メートルを超えると、ヒトの両目間の幅がわずか約6センチしかないことからもわかるように、この奥行きを感じる能力は弱まります。
 しかし純粋両眼視は人が立っている場所から何メートルの範囲で行われているのかという問いには、一様な答えはありません。というのも、両眼視差の大きさは、立ち位置と視覚対象との間の距離、人の眼幅、両眼がどの位置に焦点を合わせるかという注視点の位置、さらには対象そのものがもっている大小、対象にあたる光の明暗の度合い、対象とその背景にあるものとの明暗の差などにも依存するからです。

単眼視

 一方、片眼だけを使った視覚である単眼視は、純粋両眼視の視野の外側でも内側でも働き、物の輪郭や動きを捉えるのに役立ちます。単眼視は遠くの物体を識別するのに重要ですが、両眼視差がもたらす奥行きや立体感を感じる能力には限界があります。
 限界がありつつも単眼であっても奥行き・立体感が感じられるのは、幾何学的遠近法の原理を利用できるからです。遠近法のもっとも基本的な原理とは、遠くにある対象は幾何学的に縮小して描くということです。この原理は、左右の眼で捉えられた視覚像の差にもとづいて奥行き・立体感を知覚する純粋両眼視とは、まったく別の原理であることはいうまでもありません。
 単眼で遠近の認知を可能にしているのは、遠くのものは縮小するという大きさの遠近だけではありません。近くにあるものが遠くにあるものの姿を部分的に隠す遮蔽、遠くにあるもののその輪郭をぼんやりとくすんで見せる空気、対象への光のあたり具合よってできる影の位置、視線(視心)がそれぞれの対象にあたる高さの違いなどがあります。[1]
 こうした経験的な遠近の他にも、そもそも生得的に単眼には、両眼を使って行うときに顕著な輻輳(ふくそう)という自動的な機能が備わっています。輻輳とは、たとえば何か特定の物体を両眼で見るときに、その物体の映像が左右の眼の網膜の中心にくるように、眼球を動かすことです。これは、眼の筋肉が動くことで実現されます。この筋肉の動きと輻輳の作用によって、物体が近いのか遠いのかという距離感が理解できるのです。


[1] ヒトとして経験を積むことによって得られる単眼の遠近把握には、大まかに2種類にわかれる。(1)絵画的手がかりと (2)運動手がかりである。(1)にはすでに述べたものの他に、色彩遠近、テクスチャー勾配などがある。他方(2)には、向こうから自動車が自分に近づいてくる場合ような運動視差がある。

複合的な奥行き

 人間は、両眼で見るときと単眼で見るときで、空間の奥行きや距離を感じるメカニズムが違います。この違いをもう一度整理すると、両眼で見るときは、右眼と左眼で見える映像が異なっていることを利用して、物体の位置や距離を推測します。これを両眼立体視(ステレオプシス)(binocular stereopsis)といいます。両眼立体視は、小さな目幅が示すように、近くの対象を捉えるには効力を発揮しますが、遠くの対象にまでその効果は及びません。
 一方、単眼で見るときは、生得的な輻輳、経験的な知覚知識を手がかりにして、物体の位置や距離を推測します。単眼による奥行き把握は、遠くの対象にはとくに有効です。
 人間は、両眼による立体視と単眼に遠近把握という二つの方法を使って、空間の奥行きや距離を感じています。人間は、両眼で見た映像と単眼で見た映像を脳で統合して、一つの空間として認識しています。そのため、日常では、近くの物体も遠くの物体も、連続した立体的な空間として見えています。
 そしてここで注意しなくてはならないのは、これらは別々の方法であり、単眼視は、幾何学的遠近法の法則にもとづいているのに対して、両眼立体視は立体視(ステレオプシス)(stereopsis)によっていることです

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