エンブレム理解法:本歌取り



本歌取りの異化効果

エンブレムを味わうには、まずなによりも古典文学への知識が必要となる。ちょうど和歌を正しく読み、その真意を味わうために、「本歌取り」のその元歌を知っているかどうかにかかっていることに似ている。

 本歌取りというのは、過去に作られた著名な歌を下敷きにして、自分でそこに新たな状況や気持ちをかぶせて、元歌の内容を深化させる方向で歌い返すものである。恋の歌で本歌取りの例となるのは、百人一首にも採用されている式子内親王の忍ぶ恋のそれだろう。

玉の緒よ 絶えなば絶えね 永らえば 忍ぶることの弱りもぞする 
我が命よ、ここで終わるなら終わってしまえ。このまま生きていても、恋を耐え忍ぶ力が弱ってしまうから。
 

この歌は、今この場で死んでもよいと、激しい句で始まっている。恋心をなんらかの形で素直に打ち明けられない事情があるのはたしかだが、その事情がいったい何であるのか、この歌は直接には教えてくれない。後白河法皇の娘であった式子内親王は斎院として結婚を禁じられていたからだとも、当代一流の歌詠みである藤原定家と身分・年齢違いの恋心を抱いたからだともいわれている。

しかしこの激しい句は、内親王が生み出した独自の言葉使いではなく、200年ほど前に激しい恋をした和泉式部の歌から採られたものだ。

絶えしころ 絶えねと思ひし玉の緒の 君によりまた惜しまるるかな
あなたとの仲が途絶えていた頃、途絶えてしまえと思っていた自分の命ですが、あなたのせいでまた惜しく思われます。

この歌の初句「絶えしころ 絶えねと思ひし玉の緒」を、「玉の緒よ 絶えなば絶えね」が踏まえていることは明らかだろう。こちらの歌は、『和泉式部日記』のなかにある名歌で、恋人に死なれ、夫の関係も冷めてしまった和泉式部が、新たに恋人の弟・帥宮(そちのみや)と深い恋仲になったときに交わした贈答歌のひとつである。「絶えしころ」の歌は、一度は消え去ると思っていた恋が新たに実りつつある恋へと変貌したときの気持ちを歌いあげている。それに対して、内親王の歌は実ることが許されない恋であり、しかもそれが人に知られてはまずい恋であって、恋の行方は和泉式部の歌とは真逆の方向を向いている。

にもかかわらず、内親王の歌には悲壮感はない。周囲に気づかれまいとする気持ちと、恋人にその思いを伝えるのを我慢しなければならないという気持ちが募ってはいても、内に秘めたそうした感情は、歌の形にして表に出すことによって、恋心も忍耐強くあろうとする態度も相手には着実に伝わるからだ。ときは鎌倉時代であったが、三代将軍・源実朝の金槐和歌集を思い出せばよいように、平安時代と同様に、いかに質の高い歌を詠めるのかは教養、気品、才能の尺度であって、歌が嗜まれる雅の精神は生きており、そして何よりもそういうサークルの世界は顔と顔が見える範囲の特別な階級の人たちが形成されていた。

互いに最低でも名を知っている者同士が古歌は知りつくしているはずという前提で、古歌が変奏され洗練されるその妙を楽しみ認めあったのである。だからそういう世界に生活的実感を求めるのは野暮であって、内親王や藤原定家が歌を通じてめざしているのは、個人の体験からその泥臭さを抜き出して徹底して昇化した先に浮びあがってくる普遍的な美の絶対的境地であった。


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