ミルトン離婚論の背景:私的経緯 突然の結婚と妻の里帰り
父親の職業がらみの突然の結婚
現在の社会では離婚の手続きがかなり容易になっているが、実はこれは近代社会史の流れのなかでは20世紀末葉になってからの常識である。いや手続きだけではない、離婚に値すると認められる理由として「性格の不一致」が加わったのも、末葉からである。イングランドの場合、それは1996年家族法法(Family law act)においてであった1。この離婚事由をイングランドで最初に聖書釈義にもとづき公に提唱したのはミルトンであった。
ミルトンは現在では『失楽園』(Paradise Lost)の著者として名が通っているが、この詩作 は、完全に失明したミルトンが、自分の口からほとばしる詩を口述筆記させたものであった。伝記によると、ミルトンは専門の筆耕のほかに末娘のデボラ(Deborah) にも口述筆記させたといわれている2。ところで、この娘は円満な夫婦の下で育ったのかというと、結婚当初はどうもそうではなかったようだ。
ミルトンは、1642年(32歳、当時は視力正常)に結婚する。相手は、地方の名士の長女メアリー・パウエル(Mary Powell, 17歳)であった。ふたりが知り合うきっかけは、ミルトンの父親の職業が公証人であったことによる。この職業は書類が真正のものであることを、個人としてではなく公に認めることを職務とするが、証明内容のうちもっとも多いのが借用書だったためか、公証人は金貸しも兼業することが多かった3。
1640年当時、父親はロンドンではなくレディングに住んでおり、パウエルはレディングから43kmほど離れたオックスフォード近郊のフォレスト・ヒルの治安判事だった。ミルトン家は代々、フォレスト・ヒルから1kmと離れていないスタントン・セイント・ジョンに住んでいたので、パウエル家とは顔見知りだったのだろう。パウエルは公証人ミルトンから借金をしたが、1640年には借金返済が滞り、フォレスト・ヒル近くの土地をこの公証人により押収されている4。またその借金の利子は、私塾経営で糊口をしのいでいた息子のジョンに支払うよう、取り決めもなされていた。
ところが1642年には、その利子支払いの滞りがあったようだ。ジョンは41年に教会制度改革についての書物を3冊上梓しており、これらの本をオックスフォード大学附属ボードリアン図書館に献本する必要があったのだろう5。そこでジョン自身が借金を取り立てるべく、ロンドンからフォレスト・ヒルにあるパウエル家を訪れる。1642年5月29日(聖霊降臨祭)の頃のことである。そこで見初めたのが、パウエル家の長女メアリーであった。
ミルトンは同家にしばらく滞在したあと、ロンドン(現在のバービカン・センター周辺)の自宅に戻る。そのとき、このメアリーを妻として同伴していた。結婚式をいつどこであげたのか、記録には残っていない。
ゆるかった結婚式と妻の唐突な里帰り
この当時、結婚成立の条件は、一定の年令に達した男性と女性が、それぞれ相手と結婚する意志をおたがいに向かって宣言することが基本であった6。双方の同意による結婚成立という社会慣習はあまりにも安易すぎるとしたイングランド国教会は、カトリック教会にならって、結婚を教会儀式のなかに取り込もうとした7。そこで定められたのは、四旬節などを除いた期間に公への結婚告知、教区教会において聖職者の前での宣言、午前8時から正午までの間の白昼挙式などで、聖職者による結婚許可が必要となった。しかし「根絶請願」(1640年、 第20, 23項)にも記載されているように、こうした教会による介入は聖職者にとっての暴利の収入源として糾弾され、その正当性に疑いが投げかけられていた8。
したがってミルトンの結婚記録不在はさほど不思議ではないのだが、奇妙なことに、メアリーは結婚後なんと2か月ほどで実家に戻り、それから約3年にもわたり、ミルトンのもとに戻らなかった9。正確な不在期間は、1642年7月か8月から1645年初夏までである。この期間は長期議会が数々の改革法案を可決した時にあたるが、まさにこの期間に、ミルトンは離婚について4冊の本を出版する。

フォレスト・ヒルのパウエル家(19世紀半頃のスケッチ)Robert Chambers, Cyclopadia of English Literature, 1851. I. 335.

現在のパウエル家 (筆者撮影 2005年)

注
1 Stephen Michael Cretney, Family Law in the Twentieth Century: A History (Oxford: Oxford UP, 2005) 386-390.
2 Barbara Kiefer Lewalski, The Life of John Milton: A Critical Biography (Oxford: Blackwell, 2000) 670.
3 William Riley Parker and Gordon Campbell, Milton: A Biography Vol. 1, 2nd ed., (Oxford: Clarendon Press, 1996) 687; David Hawkes, “Milton and Usury,” English Literary Renaissance 41.3 (2011): 507.
4 Joseph Milton French, Milton in Chancery: New Chapters in the Lives of the Poet and His Father (New York: The Modern Language Association of America, 1939) 9-12,79-83; P. C. Herman, “ ‘Still Paying, Still to Owe’: Credit, Community, and Small Data in Shakespeare and Milton,” in David Currell et al., eds. Digital Milton (Cham: Palgrave Macmillan, 2018) 157-61.
5 「星室庁出版令」第33項。A Decree of the Star Chamber Concerning Printing (London, 1637). Historical Collections of Private Passages of State, Vol. 3, 1639-40, eds. John Rushworth et al. (London, 1721) 316. Cf. Parker and Campbell, Milton 147.
6 R. B. Outhwaite, Clandestine Marriage in England 1500-1850 (London: Hambledon Press, 1995) xv-xvi, 3-9.
7 Eric Josef Carlson, Marriage and the English Reformation (Oxford: Blackwell, 1994) 85-87.
8 The Root and Branch Petition (London, 1640). Documents Illustrative of English Church History, eds.Henry Gee and William John Hardy (New York: Macmillan, 1896) 542.
