佐藤康邦. 絵画空間の哲学: 思想史の中の遠近法.
幾何学遠近法:刹那的な瞬間の描出
絵画空間についての考え方を美学の視点からまとめている。第1章では、パノスフキー『象徴形式としての遠近法』とゴンブリッジ『芸術と仮象』での遠近法の議論を利用しつつ、(1) 精確な幾何学遠近法はルネッサンスにおいてはじめて成立したこと、(2) 幾何学遠近法は刹那的な瞬間を描出するための手法であることが説明されている。
第2章では、(3) 数学的比例によって捉えられる遠近法的空間の描出はデカルト流の無機質・等質・無限な空間を準備するものであったこと、また(4) 幾何学遠近法は、人間の視線も体もたえず動き、眼の前の事物は、瞬間ごとに実は様々な相貌の視覚像を眼に送り込んでいるにもかかわらず、そこに幾何学的な枠をはめることで「客観的な像の再現」(47頁)を実感させる人為的な手法であることを浮かび上がらせる。
第3章前半では、(5) 幾何学遠近法による刹那的な瞬間の描出が、中世に見られた神や皇帝のような超越的で普遍的な神聖さによって保たれている階層秩序を表現することに取って代わり、現実の移りいく仮象に積極的な価値を見出す現世肯定感覚に支えられていることが説明される。そして第3章後半では、著者のユニークな論が展開する。ルネッサンスの幾何学遠近法は、刹那的な瞬間を写実的にただ描写しているのではなく、20世紀の抽象画を彷彿とさせるような要素がそこにしっかりと充填されていることを、抽象画家たちによるルネッサンス遠近法絵画へのコメントを元に裏付けている。この論に補足していえば、抽象画は、ルネッサンスのそれのように具体的な対象を描写するのではなく、一般に、形を強調して表現する。キュビズムでは、対象を垂直線・曲線・三角形・立方体など「幾何学的形状」に分解し、それらを再構成しているし、シュールリアリズムでは「日常の論理」には合わないイメージを介して「幻想的な場面」を提示する。ルネッサンスの遠近法絵画を鑑賞するとき、たしかにそこにデカルト的均質空間のなかで起こる出来事を感じ取ることができるが、と同時に幾何学が画面を圧倒し、あまりにも「幾何学的形状」が目につくし、そこで描写されている刹那的瞬間を目を凝らして観察すると、「日常の論理」には合わないはずのことが描きこまれ、いつもそこに何かそこはかとなくしれない霊妙さ、「幻想」性が漂っている。
第3章の最後から第4章にかけては幾何学的遠近法がバロック、印象派によって変質し、セザンヌを起点として抽象芸術家たちによって解体される軌跡をたどっている。
