作家 ファン・フェーン

 1556年にライデンで生まれる。父は市長などを務めた名士で、その父の意向からか、幼少期から人文主義教育を受ける。1575年頃から80年頃までイタリアに滞在し頭角を現し、宮廷や枢機卿を保護者としてもつようになる。フェデリコ・ズッカロ (Federigo Zuccaro)に師事したといわれているが、確証はない。1585年にブルッセルで、オランダの事実上の統治者・将軍であるアレッサンドロ・ファルネーゼ (Alessandro Farnese) の宮廷付の画家となり、1592年にファルネーゼが戦死すると、アントワープに居を構えた新統治者アルブレヒト・フォン・ハプスブルグ (Albrecht von Habsburg) の宮廷付の画家となる。この地で、画家組合の長にもなり、祭壇画も手がけて、世紀の変わり目に彼は絶頂期をむかえる。しかしかつての弟子であったルーベンスが、1608年にイタリアから当地に戻ると、ファン・フェーンのマニエリスムス風の絵画は、バロックの躍動感あふれるルーベンスの絵画にその人気は取って代わられた。このルーベンス興隆とファン・フェーンの凋落は、ファン・フェーンをしてエンブレム集あるいはそれに類した著作へと関心の矛先を変えさせた。そして以後、絵画作品としての目立った業績は残していない。

 ファン・フェーン方向転換の背景には、一枚しか制作できない絵画とは異なり、エンブレム集は印刷本の形で複製され広い伝播力をもつこと、銅版画の印刷技術が向上し、細い線や陰影の描出力があがり、エンブレムの図絵が芸術作品としても鑑賞にたえるレベルになったこと、そしてたんなる絵描きとしてではなく教養人として自らの人文主義教養を披露できることなどがあげられる。一言でいえば、名声の維持・確保の手段としてエンブレム本は十分機能するようになっていたのだ。

 ファン・フェーンのエンブレム集としては、『ホラーティウスにもとづくエンブレム』(Emblemata Horatiana, 1607)、『愛のエンブレム』(Amorum Emblemata, 1608) の2作がある。これらは、19世紀まで再版を重ねに重ねる人気エンブレム集となった。またエンブレム集に類するものとして、『聖トマス・アクィナスの生涯』(Vita D. Thomae Aquinatis, 1610)、『ローマ人とバタヴィア人との共同』(Societas Romanorum et Batavorum, 1611)、『ララの7人の子の物語』(Historia Septem Infantivm De Lara, 1612)がある。これらは、ある出来事についての大きな図絵が各ページごとにあり、その下には比較的短めの説明をつけるという体裁になっている。

 ファン・フェーンの絵画のいくつかは現在でもアントワープの司教座聖堂で、ルーベンスのそれとともに見ることは可能である。しかしこの人の技量、教養、人柄はやはりエンブレム集が雄弁に物語っている。

さらに詳しく 
■ファン・フェーンの生涯(簡略版)
■エンブレム作家としてのファン・フェーンの事績

『愛のエンブレム』の体裁

 エンブレムは、文(銘題と解説詩)と図絵で一セットになっている。銘題は、そのエンブレム全体を統括するメッセージで、古典などの文学作品からの引用であることが多い。図絵は銘題を視覚的に表象したものであるが、一見しただけではなぜその図絵が銘題のメッセージを表しうるのか理解できない。その理解を助けるのが解説詩である。 
 フェーンの原書では、見開きで左ページに文、右ページには図絵という配列になっていて、文と図絵を截然とした一組として強く意識するように組まれている。

左ページの最上段には、ラテン語の銘題が、すべて大文字でしかも活字のポイントも他よりも大きく全体の冠となるように記載されている。銘題に典拠がある場合には、出典となった著作の著者名が略して記載されている。そして銘題の下には同じくラテン語で解説詩が書かれている。この詩は原則として、長短短の六歩格(Dactylic hexemeter)になっている。これらラテン語部分と区別して、その下に異なる二言語で解説詩が記載されている。

邦訳『愛のエンブレム』

  このエンブレム集は、愛というテーマについてひとつの確固たる論理的な体系にもとづいて配列されているわけではない。読者は、一番目のエンブレムから読み始めて、昇順に進んでいっても、そうではなく無作為に読み進んでいっても、愛についてどう向きあい、どういう振る舞いが自分に必要なのかを学ぶことができる。

 読者が自分の関心にかかわったものが容易に見つけられるように、題銘一覧表(ページ番号付)を作成した。この一覧には、エンブレムに先立って掲載されている、献辞、賛辞、序も記載しておいた。

 なおこのエンブレム集では一つ一つのエンブレムに番号が打たれておらず、いきなり銘題ではじまっている。そのため、各エンブレムを特定する方法はページ番号か銘題以外にはない。

 またこのエンブレム集は、このサイトの検索に ◇愛のエンブレム◇ と入力すると、降順で翻訳が提示されるようになっている。

『愛のエンブレム』の理解法:本歌取りの創造, シンボル体系, 古典的教養

 『愛のエンブレム』においても、日本古典の「本歌取り」の特徴は大筋においてあてはまる。

元詩から新たな詩を作り出す (1) 類似を介した創造
生み出された詩から読者が即座に元詩を思い浮かべる (2) 類似を見破る知識と教養
元詩と新詩を比較考量して (3) 妙味を楽しめる詩的感覚
そしてさらには新詩が提示しようとしている (4) 絶対的境地を生活実感に惑わされず同調できる精神的構え

 こういったことが、エンブレム鑑賞には実は不可欠だ。

 なおエンブレムでいう元歌にあたるものは、古典文学である。ここでいう古典とは、この時代にはまだまだ地位の低かった母国語によって書かれた昔の文学という意味ではなく、西ヨーロッパ文化の源泉とこの時代には信じられていたギリシア・ローマ文学のことである。ちょうど江戸時代までの高尚な種類の日本文学作品が漢文学の作品を最高峰のそれと仰いでいたことと同様である。

 具体的にフェーンのケースを見てみることにしよう。上の図(翻訳)では、多くの樹木が並ぶ中、その一本の樹のかたわらに立つアモルが、一本の木の太い枝に細い枝を接ぎ木しようとしている。そしてこのエンブレムの銘題は、「ウェルギリウス 木々は成長するだろうし、恋人たちよ、おまえたちも成長するであろう。」となっている。冒頭にウェルギリウスとあるように、この銘題はこの古典作家からの引用である。古典の教育を受け、古典文学に親しんでいた当時の読者にとっては、この文句は、ウェルギリウスの著作の一つである『牧歌』10歌54行だとすぐに見破れた。

 『牧歌』はアルカディアという理想的な田園の地で、羊飼い、農夫、そして都会からはじき出された文化人が、さまざまな感慨を歌い、ときにはそれぞれが歌を競い合うという形での詩からなっている。この箇所では、詩の語り手にとっての友人である男性が、恋人に見捨てられてしまい、その失恋の嘆きを述べている。嘆きを口にするだけではなく、この男は自分の恋人の名を若木に刻みこみ、その「木々が成長するだろうし」、またアルカディアで恋に陥る者たちも、「成長するだろう」といっている。

 『牧歌』のこの箇所には、育つこと、言い換えるなら、失恋による衰弱がさらにひどく大きくなっていくことが述べられているだけである。フェーンのように、接ぎ木への言及はない。もちろん接ぎ木の技法についてはウェルギリウスの時代にすでに確立していた。だからフェーンはこの箇所を、実らぬ恋により心身の衰弱が強まることとは真逆に読み替えているのだ。接ぎ木という技を介して、恋が実って二人が一人になることへと変奏しているのだ。したがってフェーンが引用する古典作品からの「元歌」は、その「元歌」が含まれている作品全体の内容はもちろんのこと、「元歌」が置かれている文脈をそれなりに把握していないと、フェーンによるメッセージの妙味を感じることができない。

 エンブレムの場合、この妙味を図絵が、銘題のメッセージをシンボルを介して表象している。そのために、エンブレム本が書かれた時代(16-17世紀)に興隆したシンボル体系への理解がある程度必要である。たんなる理解しているだけではなく、図絵のメッセージやシンボルが、フェーンの本が書かれた当時やそれに先行する時代において利用されていた例にそれなりになじんでいないと、図絵がもっている奥行きを正しくつかむことができない。そしていうまでもないことだが、そうした理解に先立って、ギリシア・ローマの神話や事績、またルネッサンス期に流行した恋愛詩のなかで使われている常套の文句や考え方を、おおまかにでも知っておく必要がある。

翻訳

 そこで本書では、たんなる翻訳だけではなく、各エンブレムごとに次のような構成にして、現代の私たちもそれなりにきちんと味わえるよう工夫した。

 エンブレムの原文(ラテン語部分)と図絵を示し、その後に邦訳を置いた。邦訳に続けて次の項目を付け加えた。

図絵 図絵全体と図絵で使われているシンボルの説明

参考図 図絵や文の内容と共鳴するような、他の画家によって作られた16-17世紀の作品を掲げた。作品名だけでなく、図絵との関連やシンボルの説明も付した。なお見開き一セットという原書の体裁に合わせて、このセットが守られるよう、場合によっては一枚以上の参考図を付した。

〖典拠:銘題・解説詩〗 エンブレムの肝にあたる箇所なので、典拠となる作品の梗概と典拠箇所がその梗概の中でどのような意味で使われているかを示した。

〖注解〗神話・事績だけでなく、この時代の考え方も解説した。

▶比較◀ フェーンが展開してみせた愛の類型は、日本の恋の歌にもあるのだろうか、そしてその類型に対しての評価はどのようなものであったのだろうか。恋の歌は万葉集から現代の短歌・歌謡曲にいたるまで数かぎりなくあるが、本書では王朝文学、なかでも源氏物語と古今和歌集を中心に、比較の対象となる歌をあげ、その歌の内容を簡単に解説した。

また文中の記号としては次の2つを設けることで、読者の理解が深まるようにした。
✒                注を参照。注はそれぞれのエンブレムの末尾に、〖注解〗項目のなかに一括してまとめた。 
➽        該当のエンブレム番号を参照。

愛のエンブレム 書誌事項

書誌事項
著者名Otto van Veen (1556-1629)
書名Amorum emblemata
出版・頒布事項New York : Garland , 1979
形態事項247 p. : ill. ; 16 x 21 cm
注記Reprint of the 1608 ed. published in Antwerp under title: Amorum emblemata, figuris aeneis incisa
NCIDBA19844679
本文言語コードラテン語 イタリア語 英語



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