◇愛のエンブレム◇ 55
FINIS CORONAT OPVS.
Ni ratis optatum variis iactata procellis
Obtineat portum, tum periisse puta.
Futilis est diuturnus amor, ni in sine triumphet;
Nam benè coepit opus, qui benè finit opus.
結末が努力に栄冠を与える。
暴風に次々とであって、目指す港に
船が着けないなら、沈没と見なされる。
長年にわたり愛しても、結局、勝ち取れないなら、それはむなしい。
うまく仕事を終えると、出だしよく仕事を始めることになるのだ。
終わりよければすべてよし
船が出ても港に着かないなら、
それは波に揺られる、むなしい航海。
ちょうどそのように愛の運命も終わりになってわかる。
愛していながら、相手にふられるのでは、難破なのだ。
❁図絵❁
灯台が立つ港の近くで、船が強風に煽られ傾いている。その一方、アモルはシュロ(勝利の印)によじ登り、その葉に手を届かせようとしている。
❁参考図❁
ハブリエル・メツゥ(Gabriël Metsu)「手紙を読む女性」1662-65年
女性が手紙を陽光に当てながら読んでおり、その傍らで女中が壁に掛かった絵のカーテンを引いている。女中が左手に抱えるバケツには、アモルの矢が描かれており、手紙はラブレターであることがわかる。また中央のスパニエル犬は、この女性が恋人に忠誠であることを象徴している。ただし、女中があらわにする絵の光景は嵐の中で揺れる船である。これまでうまく進行していた恋愛も、何かの拍子に雲行きが怪しくなり、嵐にあう航海中の船のように難船するかもしれない。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:英語ではすでに16世紀半ばから “The end crowns all.”として登場する。またシェイクスピアの恋愛悲劇『トロイラスとクレシダ』では、トローイアとギリシアの英雄たちが会談する場面で、トローイアの最強の勇者ヘクトールがこの言葉を使って、ギリシアに降伏するよりも、ギリシアと最後まで戦って落城する方がトローイアの栄光にかなっていると述べる。
典拠不記載:
〖注解・比較〗
沈没:「逢坂の 嵐の風は 寒けれど ゆくへ知らねば わびつつぞ寝る」(詠み人知らず『古今和歌集』 988)。逢坂に吹く嵐の風は冷たいが、どの女のもとに自分が通おうか、行き先が決まっているわけでもない。ひとり寂しい思いをして寝ることにする。この男性にはこれぞと思う女性がおらず、むなしくも「わび寝」をする。なお逢坂は、京都府と滋賀県の境にある山で、その関所は難所として名高く、歌では恋人同士が逢えないことの比喩として用いられる