無生物主語 Part 1:コトがモノ化する


無生物主語:コトとモノとを区別する日本語感覚になじまない
モノ:空間を占め、推移変動しない
コト:時間とともに変化していく行為

 無生物主語の構文を日本語に訳すときには、理由・条件を補う必要があることがわかった。このような補いがなぜ必要かといえば、英語では日本語でいうコトとモノとを区別せず、日本語のコトにあたる対象もモノ化する傾向があるからだ。
 まずコトとモノとの違いだが、コトは出来という言葉にも含まれているように、なにかが起こることを指すのに対して、モノは品物という言葉に代表されるように空間を占め、推移変動しないものを指す。ただしここでいうモノは、「モノ消費からコト消費へ」というコピーもあるような狭義のモノではない。モノは消費財である電気製品、アクセサリー、食品などに限らず、一枚の絵や写真としてあらわされるようなもの、コロナ、アプリ、さらにはもっと抽象度をあげて、時の流れ、プレッシャー、情報過多といったことまでを含む。他方、コトは、時間とともに変化していく行為であればよく、地震が起こる、木が枯れるといった自然現象から、デモに参加する、選挙に立候補するという公の行為、さらに初めて敦煌を訪ねる、バックグラウンドの違う人とバンドを組むといったように個別の私的行為まで、ともかく出来事であれば何でもよい。
 日本語ではコトとモノとは異なったカテゴリーに属するものとして認知されているが、英語ではそうした違いへの敏感さが驚くほど欠けている。たとえば anythingという「もの」の使われ方だが、
(1) Would you like anything to drink?
   なんでもいいから飲み、欲しくない。
(2) Anything is possible when you use your imagination.
   想像を働かせれば、どんなことでも可能だよ。
(3) Her hair streaked with grey suggests that she is anything between late 50s and early 60s.
     白髪交じりの髪からすると、どうやらあの人は50代後半か60代前半の[モノ]のようだ。


 anything のthingからすれば、日本人の感覚ではこの言葉はモノだけをあらわしているはずだが、(1)はたしかにモノだが、(2)はコト、(3)はモノはモノだが人を指している。anythingという基本語がカバーする範囲がこのようにまたがっていることは、日本語ではコトとモノは分けるのだが、この感覚は英語にはあまりないことが浮かび上がってくる。
 コトとモノとの区別感覚が薄いだけではなく、英語は日本語ならコトとしてあらわすことをモノとして表現することをいとわない。(3)の主語 Her hair streaked with grey は、黒髪であるはずのところに白髪が混じっていることなのだが、白髪混じりの髪とモノで表現する。
モノとコトとが融合し、コトもモノ化するという英語の癖がみえてくると、なぜ無生物主語を日本語に訳すとき、理由・条件などを無生物主語に加味するかがわかる。それは、モノをコト化する作業なのだ。
(4) Love involves shared responsibility.
   愛というものは共同責任を含む。
(5) Covid has dramatically changed how we do our shopping
   コロナというものは買い物の仕方を劇的に変えた。

このような訳文でも、日本語としてなんとか意味をなすようになってきたが、自然な日本語にこだわれば
(4) 愛すれば、そこには共同責任がともなう。
(5) コロナが起こったので、買い物の仕方が劇的に変わった。

(4)は名詞love を動詞化し、(5)はモノに動詞を加えることで、時間とともに変化していく行為、すなわちコトへと変身させている。
 こうしてみると無生物主語が日本人に特異に感じられる原因の一つは、英語ではコトがモノ化させられているので、コトとモノとを区別する日本語感覚になじまないからだとわかる。


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