意志と中動態:ハンナ・アレント
國分功一郎『中動態の世界』5章 意志に関するまとめ
アリストテレス:欲望に自発的に従う
事例A:「午前中に授業があるのに、その日の早朝まで映画を見てしまった」
欲望に基づくという意味では願望に従っている(やりたいことをしている)
理性に反するという意味では願望に従わずに行為している(やりたいことをしていない)
願望に従いつつ従っていないという不可能が生じている。
選好:プロアイレシス(他のものに先立って選ぶ)=「欲求を伴う知性」
理性と欲望の相互作用のなかでプロアイレシスが成立し、行為が遂行される。アレントによれば、プロアイレシスは両者の間に挟まって媒介の役割を果たす。
アレント:自由意志という誤訳
自由判断:リベルム・アルピトリウム (liberum arbitrium arbitrium) はもともと、「判断」や「判決」といった意味であり、どちらに理があるかを判断するという意味での「選択」(選好)である。
理性が肯定し、欲求が追求する、こうした何ごとかを選択する能力、プロアイレシスである。
しかしこれは「自由意志」と訳されて、自発的・自律的に何かを始める能力fee willと誤解されている。
アレント:選択と意志との違い
過去に係る能力は記憶である。未来に係る能力は意志である。
しかし未来は、過去のように「真正なる時制」として認められない。
「実在する一切のものには、その原因の一つとしての可能態が先行しているはずだという見解は、未来を真正な時制とすることを否定している(アレント)。
未来は過去に存在していたものの帰結である。
認められないから、未来のための能力が存在する余地がない。
未来が「真正なる時制」であるためには、過去から切断された絶対的な始まりである必要がある。
意志は、何ごとかを開始する能力である。
意志は、過去からの帰結としてある選好(選択)とは異なる。
アレント:絶対の開始点を生じさせる意志
日常のあらゆる行為は、意志を利用してではなく選択を行っているにすぎない。
意志は、過去からの帰結としてある選択の脇に突然現れて、無理やりにそれを過去から切り離そうとする概念(能力ではない)である。
意志は、私によって呼び出され、選択と過去のつながりを切り裂き、選択の開始地点を私のなかに置こうとする。
ところが、過去から地続きである選択が、過去から切断された始まりと見なされる意志と取り違えられている。
そこで問題は、意志が実際に存在するとするならば、純粋で絶対的な始まりがあるのかということになる。
始まりはある。律法にたいしてそれに従うのか従わないのかの時点である。
「未来の生のための準備との密接な関連で、パウロがはじめて、意志を発見し、未来がいかに複雑であっても意志が必然的に自由であることを発見」
意志は、理性から定言命法というガイドを受け取ることすら許されない。
【意志は回心metanoiaにかかわる。回心は絶対的始まり。】
アレント:自発的同意への固執
行為には「自発的」と「非自発的」なものがある。
この二値によって、暴力と権力との区別はつけられる。
暴力は非自発的な同意をもたらすものだが、権力は自発的な同意が必要である。
例 ナイフを突きつけられて、私が金を出す。暴力→非自発的同意
応援していた市長候補が落選し、別な人が市長になる。権力→自発的同意
このアレントの議論では、自発性と同意が連続したものと考えられている。
暴力(強制)はないが非自発的な同意をすることは、日常茶飯。
例 子供が泣くので、仕方なくお菓子を買う。
もう少し精確にいうと、同意を自発なのか非自発なのかを問うこと自体が、意志の存在を前提にした、<能動態―受動態>枠で現象を説明しようとする試みになっている。
選択・意志・同意―これらはいずれも<能動態―受動態>という二値的な軸で説明できるものではない。これらは、そうした軸からするとどちらにも純粋に属さないものとして浮かび上がるが、<中動態>という枠で考えれば、純粋なものとして合理的な説明が可能である。
