◆二元対立の英語感覚◆《 some⇔any》「いくつかの」ではない some…,others
some⇒それなりの
some=「それなりの」というニュアンスは、some とかかわりの深い somethingについても、そのままあてはまります。somethingは、普通なら考えてしまう、「何かに」ではなく、「それなりのこと」という意味合いがあるのだとわかると、
(1) As you can see, I’m in the middle of something.
見ての通り、いま取り込み中です。
“I’m~something” という表現は、自分がなにかやっている最中に、誰かが電話をかけてきたり、部屋に入ってこようとしたときに、自分がやっていることを妨げるから、後にしてくださいというときの決まり文句です。
次に “some people~, others…” という構文です。「数人の人が~」というのではなく、「~という人もいるし、…という人もいる」と訳さねばならない理由も、some=「それなりの」で解けてきます。“some people~, others…” と発言をする人は、「~という人」が何人いるのか、その数が多いか少ないかはほとんど関心がなく、「~という人」が実体として「それなり」にあるということを意識しているのです。
だから次の文の意味も解けてきます。
(2) Some hurricanes never reach land; others will hit a sparsely-populated area, causing minimal damage.
☠ 数個のハリケーンは本土に到達せず、ほかのハリケーンは人口が密集していない地域を直撃することはあっても、その被害はしれている。
というのではないことはもうあきらかだと思います。話し手は、それなりにハリケーンとよべる勢力のものでも、本土に到達しないハリケーンがあり、その数はいくつとはいえないが、ともかくそれなりの数があるというのです。そしてかりにハリケーンが本土に到達することがあっても、えてして人口過疎地だから被害は最小だといっているわけです。ですから上の文の訳は
☀ ハリケーンのなかには本土に到達しないものもあるが、仮に上陸して人口が密集していない地域を直撃することはあっても、その被害はしれている
となります。
なお、「~という人」が多数であることを強調したい場合には、 “many people~, others…” という構文になります。チベットの霊的指導者ダライ・ラマが暗殺されたらどうなるでしょうか。
(3) Many fear that his death will rob the Tibetans of their last chance of any genuine self-rule. Others predict chaos and bloodshed.
死去すれば、内実のともなった自治へのチャンスがチベット人たちから失われてしまうと恐れている人は数多くいる。ただなかには、大騒乱と流血にまで発展すると予想している人もいる。 恐れている人もいるのではなく、そういう怖れを抱いている人は多いのです。
