◆二元対立の英語感覚◆《 some⇔any》someは「いくつかの」か?


some⇒「それなりの」

someは「いくつかの」という意味で肯定文で使い、疑問文と否定文ではこれがanyに化けるといったように、私たちは教えられます。それはまるで数学の公式のようです。しかし「someは肯定文」、「anyは疑問文と否定文」と呪文のようにとなえても、すぐに次のような「疑問文」に頻繁に出会います。

(1) Would you like to have some biscuits?
   ビスケットでもどうですか。

疑問文なのにsomeがついているではありませんか。疑問文なのに肯定文に登場するはずのsomeがあるではありませんか。any biscuitsではいけないのでしょうか。

(2) Would you like to have any biscuits?

の方が文法的には正しい英語なのではないでしょうか。

これにたいする回答として、よく耳にするのが次のようなものです。

 「いやいや、相手にものを勧める場合には some biscuits のように、たとえ疑問文であっても some が正しいのです。なぜなら勧める私は、相手が “Yes, I would like to have some” といった肯定の答えを期待しているからなのです」。

 もしこの回答が正しいとすると、相手が肯定で答えて欲しくないと私が思っているときには、some biscuits ではなく any biscuits というべきだということになってしまいます。

 「someは肯定文」、「anyは疑問文と否定文」という呪文がいつも通用するわけではないし、相手からの肯定の答えの期待という回答がかなり苦しいのです。しかしsomeとanyがそれぞれそもそもどういう意味をもっているのかを知っていれば、こういう呪文や回答にとらわれる必要はなくなります。

 someは「それなりの」、anyは「どんな」という意味が原義だと覚えておいてください。さきほどのビスケットの文にもどってみましょう。

(2) Would you like to have any biscuits?

anyは「どんな」ですから、この文の意味は、「どんなビスケットでもかまわないから、ともかくビスケットを口に入れたいですか」という失礼な問いかけになっているのです。このときの「どんな」には、食べかけ、賞味期限切れはもちろんのこと、カビくさいもの、ゴキブリのエサになったもの、ともかく「どんなビスケット」も入ります。人にものを勧めるときには、「それなりの」、つまりsomeでなくては困るわけです。

(1) Would you like to have some biscuits?

ここでsomeが使われることで、 some biscuits と聞かれる相手は、それなりのビスケット(英国では日本でいうクラッカーのたぐいも入ります)が出てくることを予想してよいわけです。古くないし、割れてもいないし、たぶんおいしいだろうなと期待してもよいわけです。逆にいえば、ビスケットを勧める私は、それなりのものを出さなくてはいけないわけですから、こういう発言をする前に、それなりのビスケットのストックが戸棚にあることを知っていなくてはなりません。