◇愛のエンブレム◇ 4

Plutarch. Amantis veri cor, ut speculum splendidum.

Vt purum, nitidum, haud fallens speculum decet esse;

Sic verus quoque sit, non simulatus Amor;

Verum candidus, & qui animum fert fronte in aperta.

Conveniunt dolus, & fucus amorque malè.

プルータルコス  真に愛するものの魂は、澄んだ鏡のようだ。

ふさわしい鏡とは、澄んで輝き、決して欺かないことだが、

 そのようにアモルも、まがい物とならず、真実であれ。

顔にあからさまに心が(あらわ)れる人は、まさしく真実な人。

 (あざむ)きと隠しだては、愛とは相性が悪いのだ。

清く正しく

 鏡が完全だと顔が正しく写るように、

愛する者は、実際あるがままの正しき姿で顕れなくてはいけない。

愛の(おきて)には、「忠実であるべし」とあり、

偽りは、真実の愛とけっして相いれないからだ。


❁図絵❁
 人家の見えない自然が多い道ばたに、アモルが座っている。アモルは手鏡を樹の方に向けて、読者の方をじっと見つめている。

〖典拠:銘題・解説詩〗
プルータルコス:参考「自分自身をさまざまに変えて偽るおべっか使いは、イソギンチャクのように、いとも簡単に変わる。……そういう輩は、そういう人間に独特の心性で愛したり憎んだり、喜んだり悲しんだりするが、まるで鏡のように、他人の気持ち、生活慣習、気持ちの表し方をしているのだ」(『倫理論集』「似て非なる友について」53A (ロエブ版1巻285ページ)。フィーンは、ここでは鏡を変節・偽装ではなく、誠実・真実をあらわす道具として利用している。

❁参考図❁

フランス・ファン・ミーリス(Frans van Mieris)「鏡の前に立つ女性」 (部分) (部分) 1670年頃

 シルクの光沢を放つ衣装をまとった女性が、平面鏡に映る自分の姿を眺めている。彼女の周囲にあるものはペット犬、壁掛け、カーテン、靴、帽子と、どれも豪華で生活の豊かさを伝えている。鏡同様に忠実の象徴である犬ときっと同じく、この女性は恋人に対して心変わりのしない忠実な女性なのだろう。なお凸面鏡は、ヴァン・エイク「アルノルフィーニ夫婦の像」(1434)にあるように家庭内で用いられていたが、17世紀には平面鏡に取って代われていった。


〖典拠:銘題・解説詩〗

プルータルコス:参考「自分自身をさまざまに変えて偽るおべっか使いは、イソギンチャクのように、いとも簡単に変わる。……そういう輩は、そういう人間に独特の心性で愛したり憎んだり、喜んだり悲しんだりするが、まるで鏡のように、他人の気持ち、生活慣習、気持ちの表し方をしているのだ」(『倫理論集』「似て非なる友について」53A (ロエブ版1巻285ページ)。フェーンは、ここでは鏡を変節・偽装ではなく、誠実・真実をあらわす道具として利用している。

典拠不記載:

〖注解・比較〗
プルータルコス:古代ギリシアとローマの英雄をペアにして論じた『対比列伝』として日本では著名だが、フィーンの時代には、彼のエッセー集ともいうべき『倫理論集』が広汎に知られていた。

『倫理論集』:取り上げる内容は、「ストア派の矛盾」、「肉食について」、「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」など多岐にわたり、その全体量もモンテーニュ『エセー』をはるかに上回っている。広義の恋愛に関しては、「愛をめぐる対話」、「結婚訓」、「妻を慰める手紙」などがあるが、本書ではこれらからの引用は見当たらず、むしろ「似て非なる友について」からの引用が散見される。原典はギリシア語だが、『倫理論集』のラテン語訳は1514年に出版されており、フェーンが利用したのは、ラテン語版であることはほぼ間違いない。

:「夢にだに 見ゆとは見えじ 朝な朝な わが面影に はづる身なれば」(『古今和歌集』681)。夢の中であっても、私は貴男(あなた)に見られたくはありません。毎朝、鏡に映してみる私の顔は、貴男への恋の苦しみで衰え醜くなっており、それを私は恥じているのですから。鏡は自分の内面の苦しさを客観的に表出する道具として捉えられている。


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