◇愛のエンブレム◇ [賛辞1] ヒューゴー・グロティウス

In Emblemata Amatoria Othonis VaenI Hugonis Grotii epigramma.

Questus Amor nondum sua respondere triumphis

Praemia, nec famae quod satis acta sequi,

Mille per artificum spatiatus millia, legit

Ottonis doctas aes animare manus.

Ipse regit ferrum, vultus ipse imprimit aeri,

Et gaudet duris durior ipse puer.

At laetus monimenta Dei victricia mundus

Accipit, & plaudit cladibus ecce suis.

Ecce Cupidineas omnis iam dextra tabellas,

Et Paphios lusus iam sinus omnis habet.

Praeda puellarum iuuenes, iuuenumq́ue puellae,

Cernite quid valeant tela potentis heri.

At vos ite procul, tutò quibus ista videre

Spes erat, & pictus laedere nouit Amor.

オットー・ファン・フェーンの『愛のエンブレム』について、
ヒューゴー・グロティウスによるエピグラム

アモルは、数々の勝利に見合うような報いを受けていない、

 数々の偉業に伴う名声はまだ足りない、と歎いていた。

そこで何千キロにもわたり、何千もの芸術家たちの間を歩き回った末に、

 銅版に活力を吹きこむフェーンのすばらしい技量を選んだ。

若きアモル自身が鉄筆を操り、銅版に顔を刻みつけ、

 頑丈な銅版よりもさらに持続する自分の姿に満足した。

アモル神のこの勝利の記念碑を、宇宙世界も喜んで

 受け入れ、なんと、世界の敗北に拍手喝采している。

見よ、アモルの図絵を、宇宙のあらゆるものが手に入れ、

 パポスの(たわむ)を、あらゆるものが胸に抱くようになる。

娘たちの餌食となった若者たちよ、若者の餌食となった娘たちよ、

 若き(あるじ)アモルの武器がどんなに強いか、しっかりと見極めよ。

この武器に傷つけられずに見たい人たち、そういう君たちは、ここから離れていなさい。

アモルは描かれた姿であっても、傷つける術を知っているのだから。


〖注解〗

グロティウス: 〔1583-1645年〕 現在では国際法の父としてよく知られているオランダの法学者。その出発点は聖書劇と多数の詩で、そもそも文学者であった。スペインからのオランダ独立を目指したために、1619年に城に幽閉されるが、そこで読書・執筆三昧に耽る。本箱を利用して城から脱出した逸話は有名。

エピグラム:本来は墓碑銘として石に刻まれた詩をさすが、ルネッサンス期には凝縮された短詩をさした[➽5番]。

パポス:キュプルス(キプロス)島の都市。ここに愛の神ウェヌスの神殿があり、古代におけるウェヌス崇拝の中心地[次ページ注参照]。ウェヌス女神の息子がアモル(キューピッド)。パポスの戯れとは、アモルがその力で、人間に限らず宇宙のあらゆるものを、その常態とは異なった動きにさせることをさす。

❁参考図❁

ミキール・ヴァン・ミールフェルト(Michiel van Mierevelt)「ヒューゴー・グロティウス [48歳]」(1631年)

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