◇愛のエンブレム◇ [賛辞 2] ダニエル・ヘインシウス
In Amores ab Othone Vaenio delineatos.
Cùm primùm patrio visa est è gurgite Cypris
Tollere fessa caput rore fluentis aquae,
Qualis erat, talem venienti reddidit aeuo,
Et secum iußit viuere Coa manus.
Paulatim niueae cedebant corpore gutte,
Iurares tremulum surgere semper opus.
Laeua videbatur lymphis illudere palma,
Stringebat tenues altera palma sinus.
Doctior Ottonis tot dextera pinxit Amores,
Quot gemitus & quot gaudia nutrit Amor.
Armati pharetris occurrunt vndique Diui,
Attollunt rigidas, sed fine luce, faces.
Et quamuis maneant, geminas librantur in alas,
Et nil cùm noceant, spicula saeua gerunt.
Si fas est, Venus ipsa tuo concedit honori,
Iam toties nati cuspide laesa sui.
Si fas est, similes, Vaeni, speramus Amores,
Saeuiùs armatos, & magis innocuos.
Daniel Heinsius.
オットー・ファン・フェーンの描いたアモルたちについて。
キプロス✒の女神が生まれ故郷の海から
しずくをかぶった頭を最初に持ちあげたと思われたとき、
それがどんな姿であったのかを、コス島の手✒が後世のためにあらわし、
その姿とともに自らも生き続けることを望んだのだった。
透明な水滴が、女神の体からゆっくりと落ちていくと、
この作品は動き出し立ち上がると、言いたくなってしまったことでしょう。
女神は左手の掌で清い水をもてあそぶようで、
右の掌は、柔らかな胸に軽く触れていた。
だが技量に勝るフェーンの右手は、アモルたちが育む
数多くの苦悶と数多くの喜びを、アモルの姿を通じてあまねく描いた。
矢筒で武装したこの神々は、光を放たぬとはいえ残酷な松明をかかげ、
どんなところからも攻撃をしかけてくる。
アモルたちはたとえ止まっていても、二つの翼で平衡を保っていて、
外傷こそ負わせないとはいえ、苦痛をもたらす矢を携えている。
あえていうなら、ウェヌス女神自身はすでにいくたびも
自分の息子の矢に射られているから、名誉はアモルにありとしている。
あえていうなら、フェーンよ、僕たちが望むアモルたちは、今と似て、武器をもってはいても、
そしてもっと残酷であるとしても、今よりの無害なアモルたちなのです。
ダニエル・ヘインシウス✒
〖注解〗
キプロス島:女神ウェヌスのゆかりの地。切断されたウラノスの男根から散った精液が海にこぼれ、泡をふいた。その泡からウェヌス(ギリシア語ではアフロディテ)が生まれた。西風は、女神を抱えると、やさしくキプロス島に運んだ。
コス島の手:アレクサンダー大王と同時代のギリシア画家アペッレース。アペッレースがこの島で死んだこと、そして彼の傑作『海からあがるアプロディテ』がこの島にあったことから、この名で呼ばれる。彼のリアリズムの技量は、プリーニウス[➽115番](『博物誌』35巻36章79-97節)の絶賛の的である。なおこの傑作はこの島の神殿にあったが、後にローマ初代皇帝アウグストゥスがこの島からローマに持ちさり、カエサル神殿に奉納した。
ダニエル・ヘインシウス (Daniel Heinsius):〔1580-1655年〕 オランダの作家で、ラテン語による悲劇・演劇論そしてオランダ語による叙情詩を著した。フェーンのこの著作との関連では、『愛が何かと問われ見れば』(Quaeris quid sit amor, 1601年)は、オランダで最初のエンブレム本であり、フェーンによる愛のエンブレム形式と着想の源泉と考えられている。
❁参考図❁

作者不詳「ウェヌス誕生」(ポンペイ)前79年以前
エーゲ海を貝に乗って進むウェヌス。アペッレースによるウェヌス誕生の原画にもとづくと推定されている。