◇愛のエンブレム◇ 77

PECTVS MEVM AMORIS SCOPVS.
Hic scopus est, cinctas huc verte, Cupido, sagittas,
Nam patet in vulnus pectus inerme meum.
Non tot ieiunus Tityo dat vulnera vultur,
Quot tua visceribus tela dedêre meis.
僕の胸は恋の標的。
アモルよ、ここが的だ。ここに矢を向けて全部射て。
僕の胸は無防備で傷を受けるようになっているのだから。
腹を空かした禿鷲が巨人ティテュオス✒に与える傷も、
君の矢が僕の肉体に与えてきた傷の数には及ばない。
恋人の心はアモルの的
恋するもの心臓に、アモルはねらいをぴったりとあてる。
アモルは心臓を標的として、決して外すことはない。
また打ちやめず、矢を次々とつがえては放つ。
そしてこの上なく巧みな射手だという名声を誇り、喜んでいるのだ。
❁図絵❁
アモル描かれた標的を胸につけた男性は、両手を背中で合わせ、両足をぴたりとそろえて捕虜の姿勢をしながら、壁に寄りかかっている。アモルは矢を弓につがえているが、すでにその矢の一本は標的の真ん中に命中している。
❁参考図❁

ティツィアーノ(Tiziano)「ティテュオス」1548-49年
冥府に落とされたティテュオスが、その手脚を鎖で止められ、肝臓を禿鷲に突かれている。これは、この巨人がアポッロー神の母ラートーナに欲情を抱き、彼女と関係を持とうとしたことに対する罰。肝臓は再生するので、この罰は永遠に続く。禿鷲の嘴は、この男の心臓を突き刺し、彼を殺すことはない。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
典拠不記載:
〖注解〗
ティテュオス:ガイアの子で、冥界に落とされ、禿鷲のくちばしで肝臓を喰われては、その内臓が再生し、また喰われるという罰を受けている。参照ウェルギリウス[➽3番]『アエネーイス』6巻595-600行[➽15番]。
▶比較◀
胸:「君恋ふる 涙しなくは 唐衣 胸のあたりは 色燃えなまし」(紀貫之「古今和歌集」572)。貴方を恋しているのに、私のもとになかなか来てくれず、私は涙を流していますが、その涙は私の上着の胸のあたりにこぼれ落ちます。そのおかげで、胸に宿る恋心の火が収まっています。もしこの涙がなければ、上着の胸のあたりは、貴方を想う気持ちから赤くなることでしょう。古典では、募る恋の思いは、心火ともいわれていた。恋愛感情が心の奥で燃えさかり、心の内側から湧き上がることを、火に喩えている。恋心の持つ美しさ、激しさと同時に、火は制御するのが難しいので、恋に伴って生じる身を焦がされる苦しさもあらわしている。
