◇愛のエンブレム◇ 78

Ouid. NULLIS MEDICABILIS HERBIS.
Cerua venenato venantûm saucia ferro
Dyctamno quaerit vulneris auxilium.
Hei mihi, quòd nullis sit Amor medicabilis herbis,
Et nequeat medica pellier arte malum!
オウィディウス どんな薬草でも治らない。
狩人の放った毒矢で傷を負った鹿は、
ハッカ草✒を使って傷を治そうとする。
でもなんたることか、僕の恋にはつける薬草がないし、
医術ではこの傷を癒せないのだから。
恋人に救いはない
傷を受けた心臓は、痛みを軽くする方法を心得ていて、
ハッカ草を使って矢を抜いて、その同じ薬草で自分の傷を癒す。
ところが愛の場合には、自分の心の中にできた 悲しみを、
どんな薬草でも治せないとわかることになる。
❁図絵❁
胸に矢が刺さったアモルは、同じく矢を胸に受けている鹿を指さしている。鹿はハッカ草を食べ、矢を抜こうとしている。
❁参考図❁

ヤン・ステーン (Jan Steen)「放縦な家庭」1661—1664年頃
画面中央でパイプを吹かす家父は売春婦の脚の上に自分の太ももをのせて楽しんでいる。昼間から酔った主婦が、家父が背を向けたテーブルにおおいかぶさるように寝入っている。そしてそのポケットから子供が金を盗もうとしている。部屋の奥では、ネックレスを盗んだ女中がバイオリン弾きの音楽にあわせて歌い踊っている。手前の犬は大きな肉の入った大皿をなめているが、そこから出ている葉は愛の女神ウェヌスの聖樹・ギンバイカ。そして犬の足元や床に散らかる牡蠣の殻は異様に大きい。牡蠣は催淫作用があると考えられていた。きわめつけは、中央の時計をサル(欲情・強欲の象徴)が止めている。時は止まり、家父の「放縦な」愛がいつまでも続くことが暗示される。健全な家庭に戻すための薬はこの絵の中には暗示されていない。
〖典拠:銘題・解説詩〗
オウィディウス:[➽世番]『名高き女たちの手紙』5歌149行[➽70番]。この歌は、トローイアの王子パリスへの恋の虜となったニンフ(妖精)のオエノーネーが、王子に宛てたラブレター。「病に効くどんな薬草も、この世に生えている/癒し手に有益などんな根も、それは私のもの。/なのに、なんということでしょう、愛はどんな薬草でも治らないとは」(148-149行)。オエノーネーは、パリスがイーダ山中で羊飼いをしていたときに知り合い、相思相愛の仲になる。しかしパリスは王妃ヘレネーを求めて航海に出てしまう。トローイア戦争末期に、パリスは深い傷を負い、オエノーネーにその薬草の知識を頼ったが、彼女は捨てられたかつての恨みを忘れず、パリスを助けなかった。そのためパリスは死ぬが、オエノーネーは彼の死を悲しみ、自殺する。
典拠不記載:
〖注解〗
ハッカ草:(dictamnus) 「[体に刺さった]矢を抜くにあたってハッカ草に薬効があると人間に初めてわかったのは、矢に射られた鹿からだ。鹿はハッカ草を食べながら矢を抜いていた」(プリーニウス『博物誌』8巻41章97節[➽115番])。「他の四足類の多くのものも自分の身を助けるために賢くふるまう。現にクレタ島でも、野生のヤギは矢で射られると、ハッカ草をさがすといわれているが、この草には体にささった矢を抜き取る力がある、とされている」(アリストテレス[➽2番]『動物誌』9巻6章 612a[➽115番])[島崎三郎訳]。
▶比較◀
薬:「恋しけく 日けの長けむぞ そこ思もへば 心し痛し ほととぎす 声にあへ貫ぬく 玉にもが 手にまき持ちて 朝夕よひに 見つつ行かむを」(『万葉集』4006)。<大意>貴女への恋しさが時久しくこれから続くことでしょう。それを思うと私の心が痛む。貴女がほととぎすの声にまじえて、紐を通すことのできる薬玉であればよい。薬玉なら私の手に巻いて携え、朝に晩に眺めながら旅ができるのに。薬玉は、香料を包んで玉状にしたもので、家の柱や簾、そして衣の袖などにかける慣習があった。薬玉を恋人の形見として携えて、たとえ恋人と離れ離れになっていてもこの薬玉を見ることで、その寂しさを癒そうという決意が述べられている。
