◇愛のエンブレム◇ 92

P. Syr. DETEGIT AMOREM FORTVNA.
Eurip. Vt speculum puellæ faciem arguit
sic amantem fortuna.
プーブリウス・シュルス <運の女神>のせいで愛していることが露見してしまう。
エウリーピデース 鏡が乙女の顔をあらわにするように、
<運の女神>が恋心をあらわにする。
<運の女神>は愛の鏡
完璧な鏡が顔を映し出すと、
鏡には媚びへつらいがないので、そのままの顔が出てくる。
そのように、<運の女神>も、愛に賭けてみた人が、
告白が実るか振られるか、どういうことになるのか教えてくれる。
❁図絵❁
アモルが台の上に立って、女性に向かって鏡を差し出している。その鏡の高さは、ちょうど女性の顔が映る位置にある。女性は左手にハンカチを持ち、右手の手のひらを広げて腹のあたりに当てている。女性の正面の壁のくぼみには、<運の女神>の女神像がある。女神は左手に舟の櫂、右手には天秤をもっている。櫂は<運の女神>の女神がとくに航海と結びつけられていたことによる[➽7番]。天秤は、<時機>の象徴として物事が未決定な状態を示すが、ここでは相手の本性を正確に映し出す「正しさ」の象徴になっている。
❁参考図❁

ピーテル・デ・ホーホ (Pieter de Hooch)「手紙を読む女性」1664年
女性が質素な一室で陽光を頼りに本を読んでいる。女性の上部、壁面にかかっている鏡は向かい側の窓枠と壁を映しているだけで、女性の顔は鏡からはまったく見えない。つまりこの絵では女性の顔は意図的に隠されている。女性のかぶり物と脱いだ靴、そして右壁に沿って置かれた衣装ケースから女性は、既婚婦人だとわかる。この女性の恋の結末はこのような孤独の読書だったようだ。
〖典拠:銘題・解説詩〗
プーブリウス・シュルス:[➽31番]不詳。
エウリーピデース:『ヒッポリュトゥス』428-29行。アテネの女王パエドラは継子ヒッポリュトゥスに恋をしてしまうが、その恋を自ら静めようとして貞節の大切さを自分に言い聞かせている言葉。ギリシア語原文では、「邪な人の心ばえは、ちょうど若い娘の顔でも写すように「時」のかざす鏡に映し出されて、やがて顕れてしまうものです。私はどうか、この人々のような目には遭いませぬよう」(『ヒッポリュトス』松平千秋訳)となっている。フェーンは「時」を「運(の女神)」と変え、「顕れてしまうもの」を不貞ではなく恋心としている。この入れ替えによって、不貞の戒めを示していた原文を、愛する気持ちは顔に出てしまうという意味に変質させている。なおパエドラとヒッポリュトゥスの物語については、セネカ『パエドラ』[➽世番]参照。
〖注解〗
エウリーピデース:〔紀元前484年頃―407年頃〕ギリシア三大悲劇詩人の一人。女性嫌い、社交嫌いであったといわれる。人間関係にまつわる微妙な心理の動きをえぐり出し、神による最終的な解決を、その作風としていた。鏡:「曇りなき 池の鏡に よろづ代を すむべき影ぞ しるく見えける」(『源氏物語』23初音)。「曇りなく澄んだ池の鏡に いついつまでもいっしょにと わたしたちふたりの 幸せな影が 並んで映っています」(瀬戸内寂聴 訳)。光源氏の最愛の妻である紫の上が、正月のお目出度い時節に源氏に贈った返歌。「ふたりの幸せ」とあるように、この返歌の時点では紫の上は幸福の絶頂にあった。しかし、源氏との間に実子が生まれず、権勢のある親の後見がなく、正妻でもなかったという<運>が重なり、源氏が降嫁した女三宮と結婚を期に、源氏との間に心のすれ違いが生じてくる。そのために体は衰弱し、上は37歳で源氏に先立って他界する。
▶比較◀
鏡:「曇りなき 池の鏡に よろづ代を すむべき影ぞ しるく見えける」(『源氏物語』23 初音)。「曇りなく澄んだ池の鏡に いついつまでもいっしょにと わたしたちふたりの 幸せな影が 並んで映っています」(瀬戸内寂聴 訳)。光源氏の最愛の妻である紫の上が、正月のお目出度い時節に源氏に贈った返歌。「ふたりの幸せ」とあるように、この返歌の時点では紫の上は幸福の絶頂にあった。その幸福を波一つ立たない静かで澄んだ池の水面がくっきりと映し出している。しかしこれが頂点であった。紫の上は、源氏との間に実子をもうけることができず、権勢のある親の後見もなく、さらには正妻でもなかった。こういうめぐり合わせ(<運の女神>)が重なり、降嫁した女三宮と源氏が結婚したのを期に、源氏との間に心のすれ違いが生じてくる。そのために体は衰弱し、紫の上は37歳で源氏に先立って他界する。
