◇愛のエンブレム◇ 108

TELORVM SILVA PECTVS.
Propert. Non tot Achæmenijs armantur Susa sagittis,
Spicula quot nostro pectore fixit Amor.
胸は矢の森。
プロペルティウス スーサ✒はペルシアの数多くの矢で身を固めたが、
その数は、アモルが僕の胸に突き刺した数には及ばない。
終わることなく
アモルが射るのをやめず、心臓に刺し
打ちこむ矢の木製の柄を見よ。
日ごとに悲しみが新たに生まれ、それを歎いてもしかたがない。
だがにもかかわらず、いやそれだからこそなおさら、愛はしっかりととどまるであろう。
❁図絵❁
空中を飛んでいるアモルが弓をつがえ打ちこもうとしている。的は、斜面で影になった場所に身を隠している若者の胸。そこにはすでに数え切れないほどたくさんの矢が打ちこまれている。その衝撃で倒れている若者は読者の方を向きながら、それら矢を指さして自分の窮状を訴えている。
❁参考図❁

ピーテル・デ・ホーホ (Pieter de
ヘンドリック・テル・ブルッヘン (Hendrick ter Brugghen)「聖イレーネーと侍女に介抱される聖セバスティアーヌス」1625年
矢を打ちこまれ満身創痍の人物としてルネッサンス期にもっともよく知られていたのは聖セバスティアーヌス。皇帝ディオクレティアーヌスの近衛兵であったが、キリスト教徒であることが発覚すると、捕縛し処刑され、皇帝の命令で無数の矢で射られた。その彼を見つけた聖イレーネーは、侍女と共に矢を抜き、自宅に引き取り、彼を奇跡的に回復させた。このことからイレーネーは看護婦の守護聖人となる。この絵があらわすように、弓をゆっくりと抜くその微妙な手つきとそれを見守る顔つきには、負傷者にたいするこの聖女の愛が感じられる。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
プロペルティウス:『エレギーア』2巻13歌1-2行[➽14番]。詩人は、恋を主題とした叙情詩を歌い続けることを決断する。そして、死ぬまでにあげる自分の業績がこうした叙情詩だけに終わっても、恋人がこの歌を喜んでくれさえすれば満足だという。なお、古典詩学では、叙情詩→叙事詩→悲劇とランクが上がり、ランクの高い詩を書くことが一流詩人の証であった。叙情詩の主題は愛、叙事詩のそれは戦争、悲劇は国を巻きこむ肉親間の確執が一般的であった。
〖注解〗
スーサ:アケメネス朝ペルシアの首都。紀元前5世紀に、ペルシアはギリシア征服を目指し侵略戦争を起こしたが失敗する。この行は研究者の間では意味が不明な箇所となっているが、フェーンは、ペルシャが弓兵隊によって守られていたと解釈している。
▶比較◀
矢:「京都三条糸屋の娘、姉は二十一妹は二十歳、諸国大名は刀で殺す、娘二人は眼で殺す」(頼山陽, 梁川星巌)。美女が色眼を使って、男性の心を虜にすること。万葉集、古今和歌集、新古今和歌集では女性の魅力が男性の心を捉えるという出来事自体は、様々な形で表現されているが、女性があからさまに色眼を使うという記述は見当たらない。また眼矢については76番参照。
