◇愛のエンブレム◇ 21

PRIMOS ADITVS DIFFICILES HABET.
Terent. Quid leporis te vincla tenent? quin pergis, & omnem,
Excuis in primo limine fando metum?
Scilicet omnis amans, vt primùm cernit amicam,
Præque timore stupet, praeque stupore timet.
近づこうとすると、はじめはいろいろな困難がともなう。
テレンティウス✒ 野ウサギ✒の紐にどうして君は縛られているのか。どうして、踏み出して、
入り口の外で言葉かけをし、不安をすっかり振り捨てないのか。
なるほど、恋する男は誰でも恋人が目に入ると、
とたんに狼狽して、不安になり、不安になっては狼狽するのだ。
はじめは難しい
恋する男が相手の女性から愛を得ようと、初めて進み出て近づき、
その女性から愛の許しを願おうとすると、
不安になって後ずさりし、恥ずかしくなって顔を覆い、
不安と希望の板ばさみで、どうしていいのかわからなくなる。
❁図絵❁
きちんとした身なりをし、編んだ髪の毛を細く垂らした女性はテラスに立ちながら、アモルにじっと視線を向けている。この女性に対して、アモルは腕を広げながら、ためらいつつ近づこうとする。しかしアモルの手にかかった矢筒のひもを野ウサギ(臆病のシンボル)が引っ張り、近づくのを妨げている。
❁参考図❁

ニコラース・マース(Nicolaes Maes)「窓辺の女性」1650年代
「白昼夢」という別称をもつこの絵では、女性が李(すもも)がからまる窓辺にクッションを置きながら、じっと窓の下を眺めている。口元にあてた指は、胸にある思い(恋心?)を口にするのを押しとどめているかのようだ。なお、李も桃もラテン語では同じ単語(malum persicum)で、桃は誠実(心にあることをそのまま表現すること)の象徴でもあったから、なおさらこの指は思いを言葉にすることを抑制しようとする動作のように見えてきてしまう。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:実際にはホラーティウス✒『風刺詩』✒1巻9歌55行。ただし語順は次のように少し異なっている。“difficilis aditus primos habet.”この歌では、ある口達者な男性が、詩人ホラーティウスの庇護者である大富豪マイケーナスと面会し、自分も庇護するよう依頼すべく画策している。その男に路上でつかまった詩人は、マイケーナスを評して、いったん会えば好意を勝ち取るのが容易な人なので、新たな人と会う敷居を自ら高くしていると、教え諭す。したがって原文は、有力者に近づくのが難しいといっているのであって、恋愛関係ではない。
テレンティウス:典拠未詳
〖注解・比較〗
テレンティウス:〔前195年頃-前159年頃〕プラウトゥス[➽26番]と並び称される代表的な古代ローマの喜劇作家。現存する作品数は6編で、その作風は知識人に愛好されるような都会風の比較的洗練された笑いが中心になっている。規則正しい文体で、ルネッサンス期には現在の中等学校レベルでよく読まれ、実際に生徒たちによって上演されることもあった。
野ウサギ:臆病の象徴。多産であるために愛の女神ウェヌスの持物でもあった。
ホラーティウス:〔前65年-前8年〕ローマの初代皇帝アウグストゥス時代のローマ詩人。ウェルギリウス[➽3番]と並び称される。国家、文学、人間の問題をストア哲学の色彩を混ぜながら、大成した大人の感覚で歌い上げ、西洋文学に19世紀まで深い影響を与え続けた。
『風刺詩』:二巻、合計18篇の長短の歌からなる詩集。政治・社会・人物などが抱えていながらそれと気づかない負の要素を嘲笑的に描くのが風刺だが、この歌集では主に名利に執着する人間の愚かさが、ホラーティウス自身の自己批判を含めて会話調でユーモラスに語られている。
踏み出し:「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」(百人一首 40 平兼盛)。「恋心を秘めてきたけれど、それが自分の表情に出てしまっていたようだ。「恋わずらいですか?」と、人に尋ねられるまでに恋心は高まってしまった」。意中の恋する女性が目に入ったり、恋心にまかせてその女性のことを夢想したりしていると、どんなに恋心を隠そうとしても、他人の目には恋をしているとわかってしまう。恋をしても、その想いを女性に向かって口に出してはなかなかいえなかったのは、平安時代(歌は960年のもの)も同じであった。
