◇愛のエンブレム◇ 88

VNDECVMQVE OCCASIO PROMTA.
Plutarch. Vt hedera vndeuis inuenit, quò se alliget : sic amans quæcumque occurrunt, ad amicæ adaptat nutum.
好機✒はどこからでもふと現れる。
プルータルコス ちょうどツタ✒の一本一本が、からまるところを見つけていくように、愛しているなら、どんなことが起ころうとも、恋人が気に入るように自分を合わせていく。
愛は多くの手段を使う
ツタは弱い自分を支えてくれるなにかを見つけようとするが、
恋する者は、自分を生かせる、場面場面にふさわしい、
自分がしっかりと握れるものを心して探している。
恋する男はその想いを伝えられるチャンスをけっして逃してはならない。
❁図絵❁
アモルが、前髪しか生えていない<好機>のその髪をしっかりと握って離さないでいる。つかむアモルに向かって、<好機>は、花がどっしり詰まった<豊穣の角>の口を向けている。アモルの背後では、ツタが斜面や木を支えにしてその茎を伸ばしている。なお<好機>は、迅速に過ぎ去ってしまうので、過ぎ去った後からではなく過ぎ去る前につかまなくてはならないことから、前髪しかない姿であらわされる。また<好機>(オッカーシオー)はルネッサンス期から<運>(フォルトゥーナ)と融合していた。この図絵に出てくる<豊穣の角>は<運>の持物で、通例ではその切り口から果実から金貨に至るまで収穫物があふれ出てくる。
❁参考図❁

フランス・ハルス(Frans Hals)「庭にいる夫婦」1622年頃
庭園の木陰でカップルが座っている。妻はにっこり笑い、夫の肩に手をかけて、夫は心臓に手を当てながら、ツタがからまる樹木(おそらくニレで、結婚の象徴)にゆったりと座り、妻と同じようににっこりと笑っている。ツタも男性の右足横に生えているアザミも、忠誠の象徴である。これは結婚したばかりの夫婦(夫36歳、妻20歳)の肖像画。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
プルータルコス:「愛(アモル)は、ちょうどツタのように、おのおの自分がつかんだ支えに寄り添っていくことができる」(『倫理論集』「話を聴くことについて」45A (ロエブ版1巻241ページ)[➽4番])。ここでプルータルコスは、弁論家は語る対象について愛を持っていれば、その対象がどんなに劣悪であっても、何か取り柄を見つけてその対象の魅力を引き出し、聴衆を納得させる話ができると述べている。この文脈からすれば、銘題中の「好機」とは恋人をほめるためのチャンスということになる。なお「一本一本」と訳した箇所は、フェーンの原文にはundevisとあるが、おそらくquavisの誤りなので、それに従って訳出した。
〖注解〗
<好機>:参照「好機の前額には髪があるが、後頭は禿だ」(『カトーの二行句集』2巻26節[➽36番])
ツタ:「女はツタになって、樹皮で覆われたニレの木の指にからまりつく」(シェイクスピア『『夏の夜の夢』4幕1場50-51行)とあるように、ルネッサンス期には、ツタのからまる木は、愛の象徴としてしばしば言及された。
▶比較◀
ツタ:「玉葛 はふ木あまたになりぬれば 絶えぬ心の 嬉しげもなし」(詠み人知らず『古今和歌集』709 )。<大意>「貴方はつる草がいろいろと多くの木にからみつくように、いろいろな女性と関係を持つようになってきたが、それでも私との関係を切ろうとしないその気持がうれしいのです」。平安時代の結婚は、一夫多妻が通常なので、女性は夫が関係をもつほかの女性と自分とを比較し、嫉妬に走りやすかった。しかしこの女性は夫に多くの女性がいることを知りながらも、自分を捨てずに夫が通ってきてくれていることに満足している。嫉妬に狂わず、夫の振る舞いに対する寛大な心をアピールすることで、夫に気に入られるように自分の気持ちを調節している。なお、玉葛はつる草の美称。
