◇愛のエンブレム◇ 27

VIRTVTE DVCE.
Herculis insignis virtus dux praesit Amori;
Hunc ne praecipitem deuius error agat;
Vtque sui capiat felicia praemia voti.
Laus est, cùm virtus dux in Amore praeit.
美徳を導き手として
名高きヘルクレースの美徳✒を、アモルの導き手として治めさせよ。
この無鉄砲者が道をはずれてさまようことのないように、
そしてまた、この者が願っている幸運の賜物が手にはいるように。
美徳が導き手となってアモルを治めれば、それはすばらしいことなのだ。
美徳は愛の導き手
ヘルクレースが愛を導くと、そのおかげで愛は、
おおいに勇気づけられ、愛の務めとして果たすべきことをなんでもこなす。
愛が美徳に導かれると、どんなことも困難ではなくなり、
苦痛をともなうこともやりとげる。
❁図絵❁
ヘルクレースが、ライオン皮衣を頭からかぶり、棍棒を肩で支えながら歩いている。この英雄は、アモルを教え諭すような目つきをしながら、アモルの手 を握り、アモルをしっかりと導いている。なおライオンは、ヘルクレースの十二の難行の一つ、ネメアのライオン退治で手に入れたあのライオンの皮衣。
❁参考図❁

ジョヴァンニ・バジョーネ (Giovanni Baglione)「別れ道のヘルクレース」1640-42年
青年ヘルクレースがウェヌス女神とミネルウァ女神✒の中央に立っている。ヘルクレースは、快楽の道を勧める上半身を露わにしたウェヌス女神を見下し、軍人の武具と武器で身を固めたミネルウァ女神に身を寄せ、ミネルウァ女神の道を選択したことを示している。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:参照オウィディウス[➽世番]「私を導き手として、有害な[恋の]心労を追い払いなさい」(『恋愛治療』69行[➽43番])。ここでいう「私」は、恋を成功させる秘訣を知るオウィディウス。またルネッサンス期には家訓が特に流行したが、その一つに次のようなものがある。「神が導き手であるなら、過ちを犯すことがない」(duce non erramus Olympo)(アルマンクール[フランス北東・ベルギー近郊]カルヴアザァン家のモットー)。
典拠不記載:
〖注解・比較〗
名高き美徳:「別れ道のヘルクレース」の逸話に基づく言及(例 クセノフォン『ソクラテスの思い出』(2巻1節12))。ヘルクレースがまだ世に出ず青年であった頃、静かな場所で瞑想していると、まず最初に快楽を伴う悪徳の道を勧める女性が現れ、その安楽の道を示す。すると別な女性が現れ、苦難を伴う美徳の道を勧め、最初の道の誤りを指摘し、努力によって勝ち得た幸福こそが真のものであることを教える。選択を迫られた英雄は、道は険しく困難を伴う美徳の道を選ぶ。
ミネルウァ女神:愛のウェヌス女神に対して学芸を擁護する女神。ユッピテル神の頭髪から産まれたが、その時、兜・盾・槍を身につけた姿であったという。戦争の女神でもあり、ヘルクレースにとどまらずペルセウスやイアーソーンなど著名な英雄たちはこの女神を守護者と仰いだ。
さまよう:「由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ 行くへも知らぬ 恋の道かな」(新古今和歌集 曾禰好忠 1071)。「由良の迫門を漕ぎ渡ろうとする水夫の、中途で楫を失って、舟の漂わされゆく方角も知れなくなったそれではないが、どうなるかの見とおしもつかないわが恋であるよ」(窪田空穂 訳)。水流の速い由良の海峡(現所在地不明)を渡る船頭が、櫂を奪われてしまい、船がどこにいくともわからずに流されていくように、私の恋の行方もこれからどうなるともわからないということ。この歌の作者にとっては、櫂とは、相手の思いを知りそれに応える振る舞いをすることであって、そのためには歌というミネルウァ女神の知恵が必要であるとはいえ、ウェヌスの女神が約束する結ばれる愛が目的地であったのだろう。
