◇愛のエンブレム◇ 79

Ouid.   ET CVM FORTVNA STATQVE CADITQVE FIDES.

Cic.    Non solum ipsa fortuna cæca est: sed etiam plerumque cæcos efficit quos complexa est: adeò vt spernant amores veteres, ac indulgeant nouis.

オウィディウス     そしてまた、<運命>しだいで、信義は重んじられ、軽んじられる。

キケロー       <運命>自身が盲目であるだけではなく、<運命>に抱きつかれた人もまた、たいがい盲目になってしまう。そのため、いままでの愛はどこへやら、新しい愛に身を焦がすのだ。

盲目の<運命>は愛を盲目にする

  盲目の<運命>は、ときには愛をも盲目にして、

自分といっしょに回転する地球儀の上に乗せて、くるくると目を回らせる。

これは、冷淡が勝って、愛が軽くなり、か弱い熱が消えたときに起こるが、

熱烈で忠実な愛は、そんな<運命>に遭遇することがない。


❁図絵❁

 目隠しをした<運命>は、上着を帆のようにふくらませ、櫂を脚で支えながら、その脚を球体にかけている。<運命>は、「大海の女王」(ホラーティウス[➽21番]『歌章』1巻35歌6行[➽116番])ともいわれるが、それは風向きや風力の変わりやすさが運勢の変わりやすさと呼応するからである。球体の上に乗っているアモルは、<運命>に抱かれながら、目隠しをされている。

❁参考図❁

フランス・ファン・ミーリス (Frans van Mieris)「生地店」1660年

生地を選びにきた紳士が、左手で生地の見本をまさぐりながら、右手では売り子のあごをさすっている。画面右手前のテーブルには旗が折っておかれているが、旗に織り込まれたモットーが「お望みの人と比較する」(COMPARAT CUI VULT)とある。この紳士は、その淫乱な顔つきにふさわしく、生地を選ぶように女性を選んでは次々と女性を愛しているに違いない。


〖典拠:銘題・解説詩〗

オウィディウス:[➽世番]『黒海からの手紙』2巻第3書簡10行[➽16番]。ここでは、友情の報酬とは美徳を示すことであるにもかかわらず、世間では友情は打算によって成り立っていると述べ、相手が順境にあれば友情の信義を示そうとし、逆境にあれば信義のかけらも見せなくなると非難している。
キケロー:[➽5番]『友愛論』15章54節[➽28番]。男性同士の友情についてキケローは論じながら、ここでは大きな権力を持った人間には親友ができにくいことを教えている。なおキケローの原文では、「いままでの愛はどこへやら、新しい愛に興じるほどだ」の箇所が、「栄華にかられて、古くからの友人を退け、新しい友人に興じる」となっている。

▶比較◀
信義:「忘れじの 行く末までは (かた)ければ 今日を限りの 命ともがな」(儀同三司母(ぎどうさんしのはは)『百人一首』54番)。<大意>「いつまでも私の愛は変わらない」と貴方はおっしゃってくださいましたが、将来にわたっても変わらなくするのはきっと難しいでしょうから、この言葉を聞いた今日、私の命が失くなってしまえばよいのに。愛はどんなに強烈であっても、魅惑的な別な女性が現れれば男性の心は変わってしまう。万葉の昔(久米女郎(くめのいらつめ), 1459)から、散る桜の花などにたとえて、定めなき世の中の移り変わりと同様に男性の心も変わるという、その信義なき不実が恨みつらみを伴って歌われている。


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