◇愛のエンブレム◇ 85

AMANS AMANTI MEDICVS.
Ouid. Discite sanari, per quem didicistis amare,
Vna manus vobis vulnus opemque feret:
Terra salutiferas herbas, eademque nocentes
Gignit, & vrticae proxima saepà rosa est.
愛する者にとって、愛する者こそが医師。
オウィディウス 恋愛指南を授けたその人✒から、今度は恋愛の醒め方を習いなさい。
君たちの手は傷つけもするが、助けもするのだ。
薬草を生やすその土地から、毒草も生えるのだ。
バラの一番の親戚はイラクサ✒であることが多い。
愛は愛の医者である
傷の癒しは、その傷を引き起こしたものからわかる。
傷の原因となったものは、安楽の由来となり、
病を招いたものが、その病をこのうえなくうまく癒す。
愛は愛が傷を負わせた箇所に、絆創膏をはるにちがいない。
❁図絵❁
心臓が矢で射られたアモルが、目隠し布(おそらく病鉢巻)を頭に巻いたまま、薄暗い部屋のなかの天蓋付きベッドの上でぐったりと横たわっている。もう一人のアモルがベッドの脇に立ち、このアモルの脈を取り、フラスコに入った尿を検査している。小テーブルには薬瓶や水差しがあり、巻紙には「PX COR」(「心の平安」PAX CORDISの略)と書かれている文字が見える。
❁参考図❁

フランス・ファン・ミーリス (Frans van Mieris)「医師の往診」1657年
若い女性が天蓋付きベッドの横にしつらえられた椅子にぐったりと腰かけ、胸に手をあて、息も絶え絶えに虚空を見ている。女性の腕で脈をとり医師が診断しているが、眉間にシワを寄せ、診断に窮している様子である。女性の膝の上に開かれた本には、「愛する者にとって、愛する者こそが医師」と書かれているのかもしれない。女性の病は男性、とはいってもこの医師ではなく女性の意中の男性が現れれば治るはずなのだ。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
オウィディウス:[➽世番] 『恋愛治療』43-46行[➽43番]。原典では、恋から目を覚ましていわば正気となることをオウィディウスは勧めているのであって、フェーンが示唆するように恋する相手と出会って高まる恋心を満足させるといっているのではない。
〖注解〗
その人:オウィディウス自身で、その著『恋愛術』[➽2番]を指している。
イラクサ:催淫作用があると信じられていた草(『恋愛術』2巻417行、ユウェナーリス『風刺詩』2歌128行)。バラに象徴される恋愛が、イラクサの性愛にもなりうることを教える。
▶比較◀
病:「かくばかり 恋の病は重けれど 目にかけさげて あはぬ君かな」(小大進『金葉和歌集』478 [1124-27年])。<大意>貴女への恋心は募る一方で、その気持ちが高じてひどく病んでしまった。しかし貴女は私のことを目にとめても見下して、逢ってくれようともしません。この男性の病を癒やすことができるのは、意中の女性のみであり、この女性こそが男性にとっての最高の医者であり薬でもある。恋の病に効く飲み薬はなく、唯一効くのは想いを寄せている相手と逢うことだというのは、日本でも西欧でも同じ考え方であった。「いかにせむ 逢ふよりほかの 薬なき 恋の病に 沈む我が身を」(藤原実清『久安百首』258 [1150年]。
