◇愛のエンブレム◇ 7
AMANTIBVS OMNIA COMMVNIA.
Fortuna (en) geminis cyatho dat amoribus uno
Intermista suâ dulcia amara vice
Tac.de Mor.Germ. Ne se mulier extra virtutum cogitationes extraque; bellorum casus
putet, ipsis incipientis matrimonij auspicijs admonetur, venire se
laborum periculorumque; sociam, idem in pace, idem in prælio pas-
suram, ausuramque.
愛するものにとっては、すべてが共有物。
ご覧なさい。<運の女神>✒は双子のアモルにひとつの盃で、
苦さと甘さを混ぜたものを交互にあげている。
タキトゥス『ゲルマーニア』 妻たるもの、夫の武勇に思いをめぐらすことなく、戦争によって起こる不慮のことから自らは免れているなどと思わないようにするために、結婚を始めるにあたって、これらの印が教えるのは、妻とは苦難と危険をともにする夫の仲間として、平時にも戦時にも共に耐えしのび、共に活躍するものだということだ。
似たような運命を二人
<運の女神>は二人の恋人用にひとつの杯に同じ量を注ぐ。
杯の味がすっぱかろうと甘かろうと
互いに喜びも苦しみも分けあうことが
一つ、つまり二人には同じくふさわしいからだ。
❁図絵❁
風を受けた帆を左手で支えている<運の女神>が、二人のアモルが握っている杯に、ブドウ酒を注いでいる。アモルたちは杯を握るだけでなく、女神の腰にも手を回して、三者が一体になっている。女神の左側の空は快晴で、陽光が田園地帯に降りそそいでいる。ところが右側では嵐が起こり、船が一艘、海に沈みかかり、家が崖から崩れ落ち、牛が死に、樹は無残に根こそぎになっている。
❁参考図❁
キリング・ファン ・ブレーケレンカム (Quirijn van Brekelenkam)「感傷的な会話」1622–1669年頃
身綺麗に服をまとった若い男性が、至近距離に座っているうつむき加減の女性と話をしている。女性はワイン・グラスの底を、人差し指を下にして親指で挟むという優雅な持ち方をしている。壁絵のなかにはごつごつとした山道を登っていく旅人の姿が見え、その姿は二人の頭のちょうど真ん中にきている。今は楽しくとも、つらい未来が待っていることを暗示している。はたしてこの二人が享楽だけでなく艱難辛苦を共にすることができるのかどうか、それはわからない。
〖典拠:銘題・解説詩〗
典拠不記載:
タキトゥス:『ゲルマーニア』「婚嫁」第1部18章。結婚にあたり、夫が妻に対して嫁資を持っていくが、それは「雄牛、馬と馬勒、盾、槍あるいは剣」であり、その嫁資に対して妻は夫に、「何らかの武具」を渡すことになっていた。こうした嫁資は、結婚の絆を象徴する神聖なものであり、引用文中にある「これらの印」であった。「印」は夫婦がいついかなる時にも苦難を共にすることを教えている。
〖注解・比較〗
タキトゥス:〔56年頃-120頃年〕 帝政ローマ期の歴史家。共和政を賛美し、ローマ古来の美徳が時代と共に廃れていくという史観で、ローマの歴史やゲルマンの風習を叙述した。『同時代史』、『年代記』、『ゲルマーニア』などの著作があるが、これらを読み応えのある著作として世に出したのが、オランダの人文主義者ユストゥス・リプシウス〔1547年-1606年〕による校訂注釈版(1574年、改訂版1600年)。
『ゲルマーニア』:大国ローマにとって最大の敵であったゲルマンの諸部族について、習俗・生活様式も含めた包括的な民族誌。ヨーロッパでは、自国の起源や過去の風習を知るための著作として広く読まれた。現在でも、とくにゲルマンの法制度を知るときの一級の資料になっている。とくにフェーンとの関連では、オランダはバターウィーアという名称で、またオランダ人は「これら[ゲルマンの諸]部族の内でももっともすぐれた武勇を誇る」(第2部29章)バターウィー人と記述されており、しかもローマ人に対して反乱を起こし独立したという記述(例『同時代史』1巻64章, 2巻66章)ともあいまって、オランダがスペインから独立するにあたっての精神的支柱となった。
<運の女神>:時間とともに西欧で運は擬人化されて考えられ、勝手気ままに好意を振りまく女神と考えられた。運はとくに航海と結びつけられたので、女神の持物として風をはらんだ帆や舵が用いられた。参照 ホラーティウス[➽21番]『歌章』3巻29歌49-61行[➽116番]。
苦難と危険:「武蔵野は けふはな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり」(『伊勢物語』12段)。「武蔵野の原にどうか今日は火をつけ燃さないでください。私が愛する人も隠れているし、私もまた隠れているのです」。ある男が、自分の愛する女性を盗むが、追っ手が迫りくる。男は、女性を草むらに隠して、自分はさらに逃げていってしまう。追っ手は、野原に火をつけて、いぶり出そうとするが、それを見た女性が、詠んだ歌。もともとは古今和歌集にあり、農夫が野焼きをするので、それを止めようと男が詠んだもの。