◇愛のエンブレム◇ 8

Arist. DVO SIMVL VIVENTES AD INTELLIGENDVM ET AGENDVM PLVS VALENT QVAM VNVS.
Cæci humeris gestatur Amor pede claudus vtroque:,
Mutuat hic oculos, commodat ille pedes.
Candido amore nihil maius, nil dulcius, atque
Vberius, magis ac auxiliare nihil.
アリストテレス ことを理解し実践する場合には、ともに生活する二人のほうが、
一人よりもずっとよい。
両脚ともに悪いアモルは、盲目のアモルに肩で背負われながら、
眼を貸し、他方その盲目のアモルは、脚を提供している。
信頼関係にある愛ほど、すばらしいもの、立派なもの、
豊かにして助けになるものはない。
手で手を洗うように
親切なことをするとは、愛が愛を助けることだとわかる。
足の不自由な愛は盲目の愛に道を教え、
盲目の愛は足の不自由な愛を背負って、愛する気持ちを態度で示す。
こうしてそれぞれの欠点を相手が補ってくれる。
❁図絵❁
目隠しをしたアモルが、松葉杖を持ったアモルを肩で背負い、行きたい場所に連れて行っている。背負われているアモルは、左脚は包帯をし、右足は義足をつけていて、松葉杖なしには歩けないことがわかる。また目隠しはアモルが盲目であることを明示的に示している。
❁参考図❁

ニコラ・プーサン(Nicolas Poussin)「ディアーナ女神とオーリーオーンのいる風景」1660-64年
巨人オーリーオーンは王女メロペーを愛したが、娘を渡すまいとする王によって盲目にされてしまう。巨人は、東の突端に行き陽光を浴びれば治るという託宣を受けて、鍛冶の名手ケーダリオーンを肩に載せ、東へと案内させる。ここでのテーマは、助け合いの友愛。なお背負って助けてもらうという構図は、これ以外にも、英雄アエネーアースが父アンキーセースを背負って落城するトローイアの城から逃れる場面があるが、こちらは親子愛をあらわしている。
〖典拠:銘題・解説詩〗
アリストテレス:[➽2番]「実際に、二人で同時にやる場合の方が、よくわかるし、よくできるのだ。」(『ニコマコス倫理学』✒8巻1章[1155 a 15-16]レナオルド・ブルーニ他訳)。友愛には人間双方に美徳が内在していなくてはならないと述べた後で、貧困、不幸、若さ、老いといった中庸を欠いている状態に人間が陥っているとき、友人が唯一、頼りになるものだと教える。そしてこの引用文が出てくる。したがって、アリストテレスの意図は、友人の一方にだけなにか欠如があることを想定し、その人間を助けるために友人が必要だといっている。そこでは助けは一方から他方に流れるだけで、けっして双方ともに欠如があるとは考えられていない。
〖注解・比較〗
『ニコマコス倫理学』:アリストテレスの主著で、人間の知とその理性的活動は善を目指しているとする立場から、徳と悪徳の性質を描き、徳ある人間像を示すと同時に、すぐれた共同体の実現を勧める。人間関係を論じた第8~9巻のうち、8巻では有用性でも楽しさゆえでもなく、善に根ざした友愛こそが必要だと教えている。
欠点を補う:「妻子好合、如鼓琴瑟』(さいしこうごう、きんしつをこするがごとし)(『詩経』小雅・常棣)。瑟は、琴に似た楽器で、琴より大型で低い音が出る。琴に瑟をあわせて奏すると全体の音色が相和するので、それを仲が睦まじいことにたとえている。原文では「妻子」だが、のちには「夫婦」の間についても使われるようになった。
