◇愛のエンブレム◇ 9

AMORIS FINIS EST, VT DVO VNVM FIANT VOLVNTATE ET AMORE.

Leo Hebr.       Amantium copulatio spiritalis fieri potest, corporalis nequaquam & idcirco

geminantur eorum ægritudines propter vnionis corporeæ defectum.

Lucret. Namque in eo spes est, unde est ardoris origo,

Restingui quoque poße ab eodem corpore flammam,

Quod fieri contrà coràm natura repugnat.

ソクラテス     望みと愛において二者が一者となることが、愛の目的である。

レオーネ・エブレオ             愛する者同士は肉体的にではなく霊的に結合するということがありうるのだから、肉体がひとつになっていないと、二人の悩みは倍増する。

 

ルクレティウス なぜなら、肉体は愛の炎が燃えいずる源であるが、

その当の肉体から炎が消えうるのではという望みが残っている。
ところがこうした真逆のことが起こるのは、自然に反しているのだ。

一体が愛の望み

恋人には、ついには相手と一体になって調和するという

希望があって、それを長いこと熱心に願っている。

二つの体にひとつの心が宿ることはふさわしい。

でも相手の体がなくなると、二人は苦しむことになる。


❁図絵❁
 二人のアモルが寄り添い抱き合いながら、顔を互いにすりよせて、一つになっていることを確かめている。

❁参考図❁

ルーベンス (Rubens)「ヘーローとレーアンデル」1605年頃
 ヘレースポントゥス海峡(現ダーダネルス海峡)を毎夜、青年レーアンデルは泳いで渡っていた。それは向こう岸の都市でウェヌス女神の女祭官を勤めるヘーローと会うためであった。ヘーローは、青年のために海泳の目標として塔から灯をかかげていたが、ある夜、嵐のためこの灯が消えてしまい、青年はそのために方向を見失い海中で迷ったあげく溺死する。ヘーローはその死を悼み、塔から身投げをし、自らの命を絶つ。絵画中央には、海の妖精たちが支え運ぶ溺死したレーアンデルが浮かび、その方向に向かってヘーローが画面右から飛び込んでいる。


〖典拠:銘題・解説詩〗
ソクラテス:「[鍛冶の神ウルカーヌス:]『できるかぎり一体となり、夜も昼も互いにくっついているというのが、おまえたちが求めていることなのか。それを望んでいるなら、おまえたちを燃やして溶かしひとつにしてやろう。そうすれば二つでひとつとなり、生きているかぎり二人でありながら一人としてともに生活を送れる。』……[アリストパネース:]愛する者と溶解して、二人ながらひとつになる。」(プラトン『饗宴』16節[192D-E][フリードリッヒ・アスト版26-27ページ])。

レオーネ・エブレオ:参照「魂は霊的愛に結ばれているとき、肉体にはいかなる食違いも残らず、その合体が完壁となるように可能なかぎりの結合を享受したいと望むからなのです。肉体的結合に応ずるとき、霊的愛はいやましてより完全なものとなるというのがその主な理由です」(『愛の対話』「第一の対話」三「人間的愛と情念の世界」[本田誠二訳, 平凡社, 1993年, 62ページ])

ルクレーティウス:『事物の本性について』4巻1086-1088行。性愛に重点をおいて愛について述べた箇所からの引用。愛するもの同士は、ディープ・キスなどをして肉体の交わりを深めるが、肉体が見かけ上ひとつになっても、愛の炎はさらに勢いよく燃え上がるように人間はできている。ルクレーティウスは、愛欲はもちろんのこと、欲望を静めようという「希望」を人間はもってはいるが、欲望が「消えうる」ことがないと述べている。

〖注解・比較〗
ソクラテス:〔前470年-前399年〕自分の無知を強烈に自覚するゆえに真の知を探求した古代ギリシアの哲学者。ルネッサンスではソクラテスの対話篇のうち、イデア論を基軸にして愛を論じた『饗宴』の内容が、哲学者マルシーリオ・フィチーノ[➽17番]による体系的な解説を介して、ルネッサンスから18世紀にかけての西洋の愛の基本概念を形成する大きな役割を果たした。

レオーネ・エブレオ:〔1460年-1520年〕スペインのユダヤ系著述家。父は官僚として王家に仕えていたが、ユダヤ追放令(1492年)を受けて、父と共にナポリなどイタリア各地を遍歴した。当時はイタリア人文主義の盛期で、壮年期に多くの人文主義者接する機会に恵まれた。その成果が、『愛の対話』。

ルクレーティウス:〔前94年頃―前55年頃〕ローマ共和政末期の詩的哲学者でキケロー[➽5番]と同時代人。宇宙の原理、人間の霊魂、その他自然界・人間界の事象を、ギリシア哲学者エピクロスの唯物論に立脚して科学的に歌い上げた『事物の本性について』(全6巻、7415行)が唯一の著作。

プラトン:〔前427年頃-前347年〕中世のアリストテレス主義に対して、ルネッサンス期にはプラトンのイデア論が称揚され、また彼の愛の観念・国家観・霊魂観・知識観も盛んに研究されるようになり、15世紀末にはその全著作が翻訳された。キリスト教とは異種の世界観を持つプラトンの世界観を、キリスト教のそれとすりあわせることに知的努力が注がれた。その影響の下に、理性を徹底的に駆使して霊的なことを観照し、天上へと霊魂を誘うことを理想とするルネッサンスの新プラトン主義が開花した。「老コージモやロレンツオ・デ・メディチ周辺の知識人サークルによるフィレンツェ・プラトン主義は、1400年代を代表する最も特徴的な現象」(エウジェニオ・ガレン『ルネサンス文化史:ある史的肖像 』58ページ)といわれるが、この影響は17世紀にあっても深く続く。

『饗宴』:プラトンの中期対話篇の一つ。エロース(愛の神)を賛美するために、出席者が順に愛について語るという形式を取りながら、愛について神話・理論を展開する。語りのなかでも、肉体美→魂の美→不滅の美という階梯を踏んでいき、最後の段階のみが真実の徳であり人間を不死にあずからせるとしたいわゆる<プラトニック・ラブ>は、ルネッサンス恋愛詩の定番的考えとなった。

『愛の対話』:〔1502年頃執筆,1535年没後出版〕エブレオの最も有名な著作。ルネッサンスの新プラトン主義の影響下に、愛の神という完全な存在を前提として、欲望と対比した形で愛の本質、愛の普遍性、愛の起源を、男性と女性が対話するという形式で叙述している。なおイタリアの人文主義者たちは、フィチーノ[➽17番]『プラトン「饗宴」註解』(1474–75年)を嚆矢として、エクイコーラ『愛の本質について書』(Libro della natura d’amore, 1495年)、ピエトロ・ベンボー『アソーロ人』(Asolani, 1497-1504年)、フランチェスコ・カッターニ・ダディアチェット『愛の書』(De amore, 1508年)など、愛とは何かを哲学・文学的に論じる論考が出版され、愛を主題として語ることは、ひとつの流行であり、その人自身の思想を示すための手段ともなっていた。
『事物の本性について』:〔前1世紀頃〕。写本が1417年に発見され、神々も含めて万物は原子からなり、人間も自然の営みもすべて原子の偶然の出会いによるとした、ルクレーティウスの教説は、キリスト教の創造神の姿とあまりにも異なっているため、15-16世紀の西欧知識人の間に驚愕をもたらした。この教えはキリスト教のそれとは共観していないが、原子論からすれば個々人の死も原子の戯れにすぎないわけで、死への恐怖を克服するための哲学としてルネッサンスでは援用された。また特に4巻では愛の心的メカニズムとその強い力から逃れるための哲学的克服法が説明され、直接間接にこの巻はルネッサンスの恋愛詩や恋愛論でしばしば言及・参照される。

炎が消えうる:「鳴く声も 聞こえぬ虫の 思ひだに 人の()つには 消ゆるものかは」(『源氏物語』 25 蛍)。「鳴く声も聞こえない 蛍の光でさえ 人が消そうとしても 消えるものでしょうか ましてわたしの恋の火は」(瀬戸内寂聴訳)。光源氏の異母弟である蛍兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)が、玉鬘(たまかずら)のいる部屋を帷子(かたびら)の隙間から覗いたとき、御簾(みす)の中にほのかに光っていた蛍を女房(侍女)たちが隠してしまい、姫の姿を見えなくしてしまう。そのとき、宮が姫に向かって詠んだ歌。なお宮は当代きっての風流人であり、光源氏との仲も終始、良好であった。

◇愛のエンブレム◇ 65
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